わたし本の制作例-9-

株式会社文研ビズでは、『わたし本』という自分史を提唱している。
私がサンプルとして作った『背中をトン-基本の手相編』を実践例としてこれからしばらくの間、書き綴っていこうと思う。

目次構成の検討例-1-

目次構成の検討を資料集めの前後の2回行う意義を説明する。
詳細な話をしても大局が見えなくなるので、章立てに絞って説明する。
当初案を次に示す。

チョイ上の手相術
├─ぼくはこうして手相と知り合った
├─かんたん手相術
└─占い師の手法

結果を次に示す。

背中をトン-基本の手相編-
├─手相あれこれ
├─善悪の価値観を観る知能線
├─活力(エネルギー)と人生の流れを観る生命線
├─好き嫌いの価値観を観る感情線
├─幸せの価値観を観る運命線
├─金運と対人運を観る結婚線
└─手相は当たるのか

まず、書名を変えている。ぼくが占いに惹かれたのは、占い師は占う人の背中を押すのが役目だと信じているからだ。
占い師は予言者ではない。予言はホンのつかみでしか過ぎないのだ。そのことを書名からもはっきりと主張したいと思ったのだ。
それは題材を集める際に、「そもそも占いを始めたきっかけ」を思い返して気付いたのだ。
ここに題材が揃った後に再度目次構成を検討する価値が見いだせる。

「ぼくはこうして手相と知り合った」というところで手相との触れあいを、それこそ自分史風に記述しようと思ったのだが、読み手が退屈するなと思ったので取りやめにした。
手相との触れあいは、「手相あれこれ」と「手相は当たるのか」で主張ごとに整理することにした。
時系列に従った記述を打破することで、『わたし本』の特異性をアピールしようと思ったのだ。
「かんたん手相術」とまとめていたが、5大基本線を格上げした。階層のバランスをとるためだった。「手相あれこれ」と「手相は当たるのか」に比べて記載情報が多いため、格上げしたのだ。

当初の流れでは、「ぼくはこうして手相と知り合った」で手相遍歴を綴り、「かんたん手相術」で手相術を解説、「占い師の手法」で占う側のテクニックを暴露するつもりだった。
気になったのが、ぼくという無名人の遍歴を興味深く読む人がいるのだろうかということだ。
おそらくはいないだろう。読み手の臨まないことを記載しては意味がない、しかも導入部では読み捨てられてしまうだろう。
読み手重視のわたし本としては、認めるわけにいかなかったのだ。
最後の「占い師の手法」でテクニックの暴露だが、読み手がそれを知ってどうするのかを考えてみた。
「何だ、占いって大したことない」と思われてはまずい。大したことない占いが趣味のこの作者って何?という自己否定につながるからだ。
それよりは見方や解釈の方法を説明することで、占い師のテクニックを紹介した方が印象がよくなるに違いないと思ったのだ。

導入部分の「手相あれこれ」では雑学めいたことを解説し、ぼくの手相に関する知識レベルをアピールすることにした。
5大基本線で手相術を解説し、「手相は当たるのか」で、その手相術をどう活かすべきなのかを解説した。

このような検討は、まず頭の中でイメージした詳細な目次を書き記し、次に資料を集めて題材が揃ったところで再度検討したからこそできることなのだ。

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