結局私たちはいつか自分史を語ることになる

【自分史】の悪いイメージの中でよく言われることとして、「結局自分史は自慢話になってしまうので、人のものも読みたくないが、自分もそうなってしまうので書きたくない(語りたくない)」という意見があります。これは間違いではありませんし、個々人の考え方次第なので否定するつもりはありません。またイメージですからまわりがとやかく言うものでもありません。今回はこのイメージと反して、ほとんどの人は結局、いつか自分史を語ることになるというお話をしたいと思います。

私たちは現状において何らかのコミュニティの中で暮らしています。職場だったり、家族だったり、ご近所だったり……まだまだあると思いますが、とにかくそのコミュニティの中では自分が認知されている状態かと思います。しかし、そのコミュニティは永遠ではありません。その存在自体が無くなることだけでなく、自分がそこから抜けることもあります。

分かりやすいので職場を例に取りましょう。会社に在籍中は名刺にある肩書きを使って社内や営業活動などをしていた人も、定年退職を迎えると、その肩書きや名刺が突然使えなくなります。現在の多くの企業では65歳で定年ですが、その年齢から何もやらずに隠居生活に入る人はほとんど見かけません。地域や趣味、または新たな仕事など、別のコミュニティに入ることになります。

おそらく会社に何年も務めた人が、名刺を持たずにコミュニティに入ることはかなり難しいはずです。相手から求められなくても、自分の経歴や過去を自ら話すことになるでしょう。その際には、多少自分の功績を語ることも多いかと思います。これを自慢話だから不快とすべきでしょうか。私はそうは思いません。この場合は自分のためというより、コミュニティのためにこの自分の経歴、功績を間接的に使って欲しいという考えから来るものでしょう。つまりこのコミュニティに自分の必要性をわかってもらうための一種のプレゼンの一環と捉えるべきでしょう。

これは男性の定年後を例にとりましたが、女性は様々なコミュニティに入る機会は男性以上にあるかと思います。その際自分を売り込むことはそのコミュニティにもメリットになります。嘘はいけませんが、客観的に自分を伝えることは相手に対するマナーに近い気がします。

自分史を否定し、自分史に関わることはしないようにするという考えは早めに切り替え、いつか自分史に関わる日が来るのだから、それまでにうまく自分を語れるよう自分史を意識した生活をすべきです。例えば自分史を書いて第三者に読んでもらうことで同じ自慢話でも表現が洗練され、より受け入れやすいものとなり、いざ新しいコミュニティに入る際には自信を持って自己紹介(自分史の披露)が出来るようになると思います。

馬場敦(一般社団法人自分史活用推進協議会監事)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です