写真と自分史(その1) 「一枚の自分史」から10年
自分史づくりにおいて、文章と写真の取り合わせは非常に相性が良いということができるだろう。事実、多くの自分史には写真が用いられているし、文章による文脈性と写真による視覚性は相乗効果をなして読み手を引き付けることに貢献している。
また自分史を書く側にとっても、単に真っ白なノートに向かって文章を書き出すよりも、思い出の一枚を脇に置き当時の出来事を思い起こしながらペンを持ったほうが、文章を書くうえで生き生きとした文章が紡ぎ出されるのではないだろうか。
もちろん普段から文章を書き慣れている人や、文筆業の人にとっては造作もないことであるだろうが、初めて自分史に取り組まんとする人びとにとっては、文章を書く行為自体が決して楽なことではないはずである。
このように考えると、自分史という一般の人が書くであろうものにおいて、写真の果たす役割は大きいといえる。私自身、このことを実感するようになったきっかけは、今からちょうど10年前まで遡る。
今からちょうど10年前、2015年の8月に私は『一枚の自分史』をいう書籍を企画・出版した。戦後70年という節目に、「一枚の写真から語り継がれる体験談」を次の時代へ残そうという思いからスタートさせた企画だった。
SNSや口コミを通じて呼びかけ、20名あまりの戦争体験談を一枚の写真とともに収録することができた。また、本の題字と解説文に自分史の生みの親である色川大吉先生からご協力を得ることができたのも、今となっては良い思い出である。
さて、この出版企画が実を結んだ2015年8月。とある自分史活用アドバイザーの方から、「この『一枚の自分史』をベースにしたワークショップを開いてみてはどうか」との打診をいただいた。それまで私の中にワークショップという発想はなかったが、このオファーを受けて構成を考えていくと、「たった一枚の写真から紡がれる自分史」というアプローチが浮かび上がった。さらに「4つのルール」(ここでは割愛する)を意識して取り組むことで、誰でもすぐに取り組める自分史ワークショップが誕生したのである。
これまで自分史づくりというと、まずは資料を集め、年表を書き、全体の構成を考えてから書き始めるという手順が推奨されていた。もちろんそのアプローチ自体は今もなお正統派であり、私自身も強く賛同しているが、一方で自分史づくりの敷居を高くしている要因にもつながってきた。
そうした中、「一枚の自分史」ワークショップは、思い出の写真を一枚持参するだけで誰でも取り組める自分史入門という位置づけを押し出すことができた。90分程度のワークショップで、とりあえず自分史が一枚完成する。このことは自分史入門者の方にとって、ひとつの自信につながるだろう。さらにこれを何回か繰り返せば、複数枚の自分史になり、やがて一冊の自分史になる可能性も見えてくる。
先に構成を考えてから書き始める正統派の自分史に対して、図らずもとりあえず一枚書いてみることでペースをつかみ、これを積み重ねていくのが「一枚の自分史」ワークショップのコンセプトとになっていった。両者は演繹法と帰納法の違いにも似ている。
ただ私自身は、一冊の自分史を手掛ける編集者としては正統派の自分史づくりの手法を重視している。しかし、自分史を広める手法として、入門者向けのワークショップとしての「一枚の自分史」は奏功したのである。事実、ワークショップ受講者の中から1冊の自分史を書きあげた方も何人もおられたのである。
「一枚の自分史」を提唱して10年が過ぎた今年。コロナ禍を経て、かつてのようにワークショップが開かれなくなったのは確かである。しかし、一枚の写真から語り継がれる自分史というアプローチ自体は、これからも自分史に取り組む上でひとつの手法たり得るだろう。
そうしたなか、戦後80年、自分史誕生50年を迎える今年8月、自分史活用推進協議会では『「一枚の自分史」で語る今に残る戦争体験』という作品集を刊行する。自分史に取り組む多くのアドバイザー仲間が中心となって、一枚の写真から語り継がれる戦争体験を数多く収録した。
この出版企画の中に「一枚の自分史」のコンセプトが息づいていることを、喜びたいものである。



