養母の「沢山の知恵」を自分史に残す
先祖や家族への思いが、自分史づくりのきっかけになることも多い。「感謝の気持ちを伝えたい」との動機からだ。その一つが、実母と養母の「二人の母親」を持つ女性がまとめた自分史だ。養母から「常に努力すること」「忍耐すること」「自分の頭で考える大切さ」を教わった。養母の「知恵袋」がどれほど役立ったことか。人生を歩む上で大きな「心の支え」と「自信」に繋がった。幾重にも「感謝の言葉」を重ねながら書き進めた。
幼少期、女性は叔母の家族に引き取られた。突然、父母、兄弟姉妹から引き離され、呼吸が出来ないくらい泣いた。「不安で、不安で凍える思いだった」と振り返る。
養母の躾は想像以上に厳しかった。自宅で教科書を読まされた時、きちんと読めないとゲンコツが頭に飛んできた。何度も頭にコブが出来た。授業参加日には必ず姿を見せ、まるで監視されている気分だった。「逃げ出したい」と思ったことは、一度や二度ではなかった。
でも、養母は家族が生き抜くためにどんなことにも挑む勇気と根性があった。夜なべ仕事でいつ寝ているのか分からないこともあった。お隣の家が食べ物で困っている時は、自宅用の米や大豆を分け与えた。
手縫いの人形をくれたり、編み込みのセーターを手作りしてくれた。自分の信念を貫き、その場に応じた知恵を働かせた。自分ばかりでなく、他人の幸せのために働いた。そんな姿に「心のわだかまり」が薄れていった。「養母のたくましさと努力に胸が熱くなった」と書き残す。
戦時中、家や家財などの財産を失った時のことだ。養母からこんな「教え」を受けた。
「戦争はむごい。今の光景をよく見ておきなさい。生きていくためにはよく頭を使い、自分で考えなさい。そのためにも勉強をして、どんな変化にも対応できる能力を身に付けなさい」
中学校受験時の記憶も鮮明に残っている。面接試験対策として養母と「面接特訓」を繰り返した。部屋の中央に面接用の椅子とテーブルを置き、養母が先生役だった。「ドアをノックする時は優しい気持ちで軽くたたきなさい。腰かける時は床を傷つけないように椅子を持ち上げなさい。顔は正面を向いて堂々と答えなさい」と細かく指導された。特訓は嫌だった。だが、この時の教えは、身を助ける一助になった。大学受験の時も、養母の「深い理解と心意気」で難関を突破出来た。
自分史の後半に、養母がくれた多くの言葉を書き残した。
「人の話をよく聞きなさい。そして内容をよく考えなさい」「笑顔は宝。相手の心をおだやかにする」「素直は成長の元。成功している人は素直な心を持って努力している」など。
「あとがき」に「こころをこめてありがとう」との言葉を添えた。養母から受け継いだ「教え」と「たくさんの知恵」を大切に守る。命日の供養を欠かしたことはない。
2025年12月1日


