「歴史の目撃者」として自分史を編む
大学時代、学生運動を経験した女性が「自分史」をまとめた。「息子や孫に、どのような時代を生きて来たかを知って欲しい」との思いから、筆を執った。第二次世界大戦を潜り抜け、記憶出来た最後の世代に当たるだけに、キナ臭さが漂い始めた今の「政治状況」を心配する。労働者、学生、主婦、知識人など幅広い国民が参加したことで、戦後政治の大きな分岐点になった「60年安保闘争」。「歴史の目撃者」となった1人として、当時、繰り広げられた「デモの熱気」、学生・労働者の「怒り」、権力の「怖さ」などを記録した。
地方都市で開いた「自分史相談会」に参加した女性は、前から2列目の席に座っていた。この時、私は一列目の席にいた男性の自分史作りの相談に乗っていた。サハリン沖で撃墜された大韓航空機の事故を追っていた元テレビ局記者の話だけに、聞き入ってしまった。その一方で、この女性の様子から、自分史作りに強い関心を持っていることが伺えた。後日電話を掛けて、十分対応できなかったことを詫びた。そして、自分史作りの準備状況を聞いた。途中まで書き進んでいることが分かった。特に、「60年安保闘争」の経験を踏まえ、その後の日本政治に「警鐘を鳴らしたい」との思いを持っていることも聞けた。
思い切って、この女性と同じ大学を卒業した同僚と一緒に、女性が暮らす地方都市に向かった。女性と同僚は卒業年次が異なるものの、大学時代の思い出話で大いに盛り上がった。「これで、この自分史作りはうまくいく」と確信した。
女性が大学に入学した当時、国内は日米安全保障条約の改定問題で大きく揺れていた。大学では、安保改定問題の「勉強会や討論会」が開かれ、学生たちは「改定で日本はどうなるのだろう」と熱心に語り合っていた。友人と「安保闘争」のデモに参加した。仲間とスクラムを組んだ。高揚した気分に包まれた。「労働歌」も口ずさんだ。
闘争は激化するばかりだった。デモに加わった時、こんな体験をしたこともある。
気が付くと、首相官邸の塀まで来ていた。全員、「岸を倒せ」と叫んでいた。あっという間に塀の上に押し上げられた。そして、地面に落ちた。顔を上げると目の前に、大きな男が立っていた。「警察官?」。そう思った瞬間、「お嬢さんはこんなところに来てはダメだよ。帰りなさい」と言われ、その場を去った。多くの負傷者が出ていただけに、ものすごく怖かった。
大学の教授もデモに参加して、授業は休講が相次いだ。授業に出ても、教室に学生の姿はなかった。そんな時、デモに参加していた女学生(樺美智子さん)の死が伝えられた。これが日本なのか? 「ひどい」「ひどい」と心の中でつぶやいた。悲壮感が広がった。「権力の姿」を思い知らされた。
そのころから、学生運動に理解があったマスコミ論調の風向きが変わり出した。「なんだ、これは?」。仲間と首を傾げた。そして、日米新安全保障条約は参議院の議決を経ずに、自然成立した。虚しさが込み上げた。
それから、60有余年。こんな世の中になるとは思いも寄らなかった。「敗戦処理の曖昧さのツケが回っているのではないか」と考える。権力に対峙すべきマスコミの動きの鈍さにも、ガッカリする。
現在、「反戦平和」に向けた考えを同じくする信頼できる仲間たちがいる。沖縄と先島諸島で進む急速な「要塞化」。仲間と出掛け、現地の住民と交流を深める。日米一体の演習や「台湾有事」の日本の対応も心配だ。仲間と「戦争を美化させないため」の情報交換も頻繁に行っている。
自分史完成後、年賀状などを通じて、その後の活動を聞いている。先日、死去した母に、白色の立派な「供花」が届いた。自分史作りをきっかけに生まれた「ご縁」。これからも大切にしながら、共に戦争の悲惨さや非人道性を考えていきたい。
2026年2月24日

