北海道にも自分史文化を

自分史活用アドバイザー 泉正人

 自分史ブログを拝見していますと、岡山県での活動が盛んであることが良くわかります。
 私自身は、19歳から35歳までの間を岡山県岡山市で過ごしましたから、今後私自身の自分史を作成する時が来たならば、岡山という土地は絶対に外せないものであります。
 言い方を変えれば、私自身の生き方の象徴のような激動とも言える16年間という年月を過ごした場所なのですから。

 開拓の歴史を持つ札幌から移住した私の目から見れば、保守的で安定志向の土地柄に思えていましたし、他人には自分の事を積極的に開示することは少なく、他人の事にはあまり関心を示さない方が多いのかと思っておりました。その意味では、自分史文化がこれ程根付いていて活動が活発であることは意外な思いです。
 先祖代々その土地に住んできた方も多いのかという印象もあり、そこをあえて開示する活動には抵抗感があるのではないかと勝手に想像していました。
 更に歴史を遡れば、近代では池田侯という安定感のある殿様が存在していたとは言え、その前の戦国時代は梟雄と呼ばれた宇喜多直家の支配下にあり、関ケ原の役のあと八丈島に流されて生涯を終えた悲劇の大名宇喜多秀家の領地でもあり、そのあとの領主が秀家を裏切った小早川秀秋であったという皮肉。
 織田と毛利と尼子に挟まれて戦乱の絶え間ない悲劇的な出来事も多かった場所でもあったはず。県北の山間地に入れば落人村の伝説がありそうなひっそりとしたたたずまいも目にしていました。
 更に以前には、そこに存在していた古代吉備王国が歴史の表舞台からは消されてしまったとか、桃太郎に滅ぼされた温羅という悲しい鬼伝説も存在する土地柄。
 今では日本のエーゲ海と称される牛窓地方の重たい昔話とかも聞くにおよんでは、今までも、そしてこれからも語られることのない影を伴った長い歴史がそこには存在しているのだろうと感じていました。
 なので、岡山県の方というのは、影の部分をあぶりだすかのような自分史という記録を残すことにも消極的なのだろうという思いが、私の心の中にはありました。

 私がそのような思いに至ったのは、実は北海道という地域もまた似たような精神風土があると感じているからなのです。
 江戸時代の終わり頃から、津軽海峡を渡って人の移動があったことは歴史上知られていますが、現北海道住民の先祖の多くは、明治維新の後に集団で移住した場合が多かったようです。そして、その多くは戊辰戦争で敗北した旧幕府大名であったり、最後まで抵抗した東北や北陸地方の武士達だったようです。
 様々な事由での入植の場合にも自分たちが移住した土地に、北広島、新十津川、鳥取などかつての郷里の名称を用いているケースも多くみられます。
 土地を追われた敗者の念というような伝統的な雰囲気があり、過去の歴史を封印して、決して思い出さないようにしながら、子孫にも口止めしているかのように、昔の人は昔のことをあまり語らなかったような気がしています。
 そして、かつて住んでいた本州のことを内地と言って懐かしんでいる姿を、私は子供の頃に良く目にしましたから。
 子孫に語り継いではいけない負の歴史、忘れたい想いというものがあるから、負の感情をあえて呼び起こすかのような自分史という活動には、北海道人は関心を持たないだろうと私は感じています。
 同じように、自分史のような事には関心が薄いと思っていた岡山市でこれ程までに自分史文化が開花しているのなら、今は自分史文化に関心が極めて薄いここ北海道でも今後は自分史を楽しく語れる時が来そうな気がして来ました。
 北海道という特異な歴史を持つ土地柄としては、自分に繋がっている家族や先代、先々代というような先祖達が、かつて本州のどの場所からどのような経緯をもって今の場所に住むようになったのかということを含めた自分史作りをすることで、より深く、より個性的な自分史が作れるような気がします。
 北海道の方々、過去を振り返る事で自分の生き方を見詰め直して、共に新しい自分史文化を北海道にも作りましょう。