不屈の精神で「公害裁判」を闘った弁護士の自分史
ここに、一冊の「公害裁判」を追った自分史がある。孤立無援の中、不屈の精神で厳しい裁判闘争を勝ち抜いた1人の弁護士の「闘争史」だ。地元権力者から降り注ぐ容赦のない「圧力」と「差別」。暗雲が垂れ込めた中、担当裁判官の「偏見」が被害農家を打ちのめす。空回りする「農民を救いたい」との気持ち。難局を救ったのは「科学の力」だった。専門用語と格闘しながら、「公害企業」がもたらした被害の因果関係を突き止めた。険しい道のりを乗り越えてつかんだ「勝訴」。弁護士と農民を繋いだのは、「正義は必ず勝つ」「団結して闘う者は必ず勝利する」との「信念」だった。
自分史の事務所に姿を見せた弁護士は、物静かだった。風呂敷に包み切れないほどの原稿を抱えていた。商業出版にするか、自分史でまとめるかを決めかねていた。原稿を預かり、一読した。原稿の中から、健康被害を受けた農民の「慟哭(どうこく)」が聞こえてきた。「無給」で農民を支える弁護士のひた向きさが伝わってきた。大きく心を動かされた。原稿を持って、弁護士が暮らす地方都市に向かった。
弁護士は苦学生だった。「弱い人たちのためになる仕事は何か」を考えた。出した答えは「弁護士」だった。人生の目標が定まると、猛勉強の日々を重ね、司法試験を突破した。
研修時代、担当することになる公害被害の実態を耳にした。すぐ、現地に駆け付けた。想像を絶する「地獄絵図」が広がっていた。公害をまき散らす企業への怒りがこみ上げた。「これはひどい。誰かが孤立無援の農民の味方にならなくては」。救済弁護に向け、裁判の準備を急いだ。
被害農民から聞き取り調査を行った。「公害企業」とどのような話し合いをしてきたかや、地元選出の国会議員、県庁、市役所との話し合いの経過を調べた。
地方裁判所で一審が始まった。裁判官は権力者側にすり寄る「偏見」の持ち主だった。弁護士は「法廷で、裁判官から農民に向けた暴言があった」と語る。
地元選出の国会議員は当初、「私は農民の味方だ」と豪語した。全面支援の姿勢を見せ、激励文まで書いた。大きな期待を寄せた。しかし、間もなく態度を翻して「公害企業」に回った。勢い良い発言は空念仏に終わり、農民の間に失望が広がった。先行きは見通せなかった。
善後策を話し合っていた時、被害農民の1人から「正義は必ず勝つ」との言葉が飛び出した。この言葉に弁護団の「闘争心」は燃え上がり、団結力が強まった。被害農民の苦悩を理解しない裁判官が交代、風向きが変わり始めた。そして、一審は企業側の責任を認めた。だが、満足のいくものではなかった。「農民が受けた被害の実態が反映されていない」。弁護団はすかさず控訴した。
勝訴するには公害企業と農業被害、健康被害の因果関係を立証する「科学の力」が必要だった。救済の手を差し伸べたのは、大学の研究者たちだった。科学的検証を引き受けてくれた。公害企業は「科学の力」を打ち破る根拠を示せなかった。ついに、納得出来る損害賠償額が示された。
弁護士は「勝因の大きな原動力になったのは団結力の強さだった」と振り返る。被害農民に寄り添い、「味方」の姿勢を緩めなかった弁護団の存在感も大きかった。強力な「味方」がいないかったため、泣き寝入りに終わった公害反対運動もあったという。
穏やかな表情に戻った弁護士は、自宅の仕事場でこう語った。
「我々の活動が将来、公害闘争が起きた時の前例になってくれたらうれしい」。
2026年4月6日

