【シネマで振り返り 5】人生と向き合うチャンスは思いがけずやってくる……「ミラーを拭く男」

自分史活用アドバイザー 桑島まさき

全国のミラーを拭く旅に出た男の物語である。
定年を間近に控えた皆川勤(緒形拳)は、マジメに働き、もうじき無事に勤め上げようとしている。寡黙で責任感が強く、良き夫、良き父としての使命を黙々とこなしてきた典型的な日本のお父さんだ。
そんな男が交通事故を起こしてしまった。幸いにも相手の少女はカスリ傷ですんだが、少女の祖父が事を大げさにふっかけてくるものだからたまったもんじゃない。軽い鬱症状にかかり、苦情処理を妻の紀子(栗原小巻)にまかせ自宅に引きこもってしまう。
事故現場を訪れた男は、カーブミラー越しに事故当時の記憶を辿る。大事に至らなかったが、もし、最悪の事態になっていたら……と思うと不安が募り、カーブミラーがあったおかげで交通殺人犯にならずにすんだのだと感謝する。

男が思いがけず直面した問題は、「カーブミラーの重要性」だ。事故現場は元々危険な場所に指定されていたことを知り、設置されているミラーが有効に機能するように尽力することを決意する! それが自分に課せられた<使命>のように。
家族は仰天する。一家の主にはまだ会社勤めという義務があり、家計は苦しいのに、“ミラー拭き”に専念するというのだから。

大事が起きた時に急いでミラーを設置する行政の在り方も問題だが、男には行政を動かすなどという目的はあまりない。ミラーが汚れていて見えない状態にないように、男は、丁寧にミラーを拭くのだ。自分が住む町のミラー拭きがすむと、今度は全国の“ミラーを拭く” 旅に出るのだった。自転車に脚立を積み、夜はテントをはって休む。いい覚悟を持って。

日本の田舎町の四季折々の情緒的な風景を背景に、男が淡々とミラーを拭く光景は滑稽だ。それどころか、<全国のミラーを拭く>という行為そのものが無謀かつ壮大(いや、無駄と思う人が大多数かな?)である。
本来ならミラーが設置されている管轄の行政機関がやるべきだが、そうはならない。行く先々で役所に足を運び、ミラー増設を申請するが、余所者の男に冷たい反応を示すところもある。それでも男はミラーを拭く。

何かに憑かれたように一心不乱にミラーを拭く様は、トム・ハンクス主演、ロバート・ゼメキス監督の「フォレスト・ガンプ 一期一会」(1995年2月日本公開)を想起させる。フォレストはある日、悲しみや鬱々とした心の穴を埋めるために突如走りだしたくなりそのまま2年以上走り続けた。漣のたった心が静かになるまで。自分自身のために走り続けた彼のとてつもない<行為>に共感し、行動を共にする人々が群れになって彼に続いたのが印象的だった。

一心不乱にミラーを拭く男の行為は、人々の口の端にのぼりテレビ報道されるようになるが、それが過熱するにつれ男は、<個>の問題が<公>の問題へと飛躍していくことに疲労困憊していくのだから、人生(物語)はシンプルにはいかないものである。
さらに皮肉なことに、男は、ミラー掃除中に事故に遭い、気が付くと“ミラー拭き”を家族と離れ3年間も続けていた。それでも、多分これからも続けるのだろうと予感させる結末、その後に続く妻の姿に、家族の再生を予感させる。

本作が劇場公開された当時(2004年8月)、「ほとんど喋らない地味な男のロードムービー」と観る向きが多かったようだが、プライベートで大きなトラブル(当時の自分史では)を抱えていた私は、その無鉄砲さにストレートな感動を覚えたものだ(ミラー拭きを真似ようとは思わなかったが)。一喜一憂するより、自分がなすべきことを悟り、実行する。たった、それだけのことだと……。
自分の人生と向き合うチャンスは、突然おとずれる。チャンスを好機ととらえ、これからの人生を豊かに生きるきっかけにしたいものだ。

※「ミラーを拭く男」(2004年8月21日公開)
ミラーを拭く男 : 作品情報 - 映画.com

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