夫の勧めで自分史作り 生きた証残し 旅立った上谷玲恵子さん

自分史活用アドバイザー 櫻井 渉

「どのような奥様でしたかと聞かれたら、作った本を手渡しています」
東京都武蔵野市の上谷(うえたに)良憲さんはこう話した。良憲さんの妻玲恵子(れいこ)さん(享年71)は、随筆や歌をまとめた自分史「鳥になりたかった魚~夢的なるものへの限りなき追求~」を作り、まもなく亡くなった。
私が自分史担当者になって間もなくのころ、良憲さんから朝日自分史事務局に、「余命が限られた妻が書いた随筆や短歌を、急いで本にしてもらえませんか」という相談が寄せられた。

私が、朝日自分史事務局近くの病院を訪れると、ベッドで横になる玲恵子さんの顔色は悪く、本作りには消極的だった。だが、良憲さんの強い勧めで、自分史作りが始まった。
玲恵子さんの随筆は、純粋な美しい文体でつづられていた。庭に飛んでくるトンボ、飼っている愛猫、家族との買い物など、何げない風景を飾らない文章で表現していた。
ただ、怒りや絶望をそのまま投げつけるような文章も出てくる。「病名」や「病状」を告げられた時だ。

「半年ごとに人間ドックを受け続けてきた。なぜ初期の段階で見つけてもらえなかったのだろうか」「この不条理さは完全に私を打ちのめした」「ただただ冷蔵庫の前に座り込んだまま泣いている」「パパ私を助けて」

良憲さんは「言いしれぬ悔しさがあったのだと思う。その気持ちを押し殺し、書き進めた気持ちを思うと……」と言葉を詰まらせた。私は、玲恵子さんの病状を見ながら、編集作業は急ピッチで進んだ。

本を作るにつれ、玲恵子さんは元気を取り戻し、担当医を驚かせた。比較的病状が安定した時、担当医から条件付きで、「自宅療養」が認められた。家族にとり、「思わぬ退院」となった。
自宅に戻った玲恵子さんは、家族との団らんを楽しんだ。その一方で、私に、「自分史を始めてから、不思議な生命力が湧いてくるんです」と嬉しそうに話していた。 編集作業が終わりに近づいたころ、玲恵子さんは「本が完成すると『命の炎』が消えていくようで……。怖いです」と、心の内側に秘めた思いを吐露した。その後、病状が急変、病院に搬送された。

完成した本は玲恵子さんの病床に届けられた。「あとがき」は、良憲さんの出版を祝う言葉で締めくくられている。「妻の文才を看過してきた己に恥じ入るばかりである。脱帽。玲恵子、おめでとう!」
本を受け取ってわずか10日ほどで、玲恵子さんは旅立った。世田谷区内の寺で行われた告別式で、最後にあいさつに立った良憲さんは、妻の本を手にしていた。

「妻の人生や人柄がすべて詰まった一冊です。上谷家の宝として、大切に引き継いでいきます」

葬儀の参列者から「是非、玲恵子さんの自分史を読みたい」との声が多く寄せられた。このため、良憲さんは「鳥になりたかった魚~夢的なるものへの限りなき追求~」を増刷して、希望者に配った。玲恵子さんが「生きた証」は多くの人の心にしっかり刻まれた。

自分史「鳥になりたかった魚」は2016年9月28日に発行した。私が最初に手掛けた自分史で、1番記憶に残る1冊だ。当時、元気だった良憲さんは3年前、玲恵子さんの元に旅立った。この紙面を借りて、仲睦まじかったお二人のご冥福を祈りたい。