人間を狂わす戦争の怖さ。自分史に書き残す
高齢の男性は私の目をじっと見つめた後、こう語り出した。「出征した中国で見て、聞いたむごい戦争体験を明らかにして、後世に伝えたい。完成した自分史を公開しても構わない」。その強い信念に私は圧倒された。話を聞きながら、「戦争は人間をここまで狂わすのか」と背筋が寒くなった。
「忠君愛国少年」だった男性は、徴兵検査に合格して軍隊に入隊した。向かった先は中国だった。初年兵教育で銃剣術を学んだ。「所持する2発の手りゅう弾の1発は敵に向けて投げろ。もう1発は捕虜になりそうなときの自殺用だ。日本の軍隊は捕虜になるぐらいなら自害しろ」と教わった。そして、敵兵討伐や鉄道警備の任務に就いた。
敵兵が潜む部落で戦友2人が銃で撃たれて即死した。小隊長は「敵兵だけでなく、逃げる者は年寄り、女性、子どもすべて撃ち殺せ」と叫んだ。小隊長の命令には逆らえず、逃げる女性と子どもに向けて撃った。鉄砲の弾は外れた。ホッとした。だが、「なぜ、民間人を撃たなければならないのか」との強い疑念が込み上げた。日本軍に協力しない部落があると、部落ごと焼き払った。めぼしい品物があれば略奪した。
別の戦場では、「突撃命令」とともに敵陣に突っ込んだ。多くの仲間が戦死した。男性の横に居た仲間は敵兵から狙撃され、「お母さん」と言い残して死亡した。戦死した仲間を民家の庭で、朝が来るまで焼き続けた。「これまた、地獄だった」と振り返る。
日本軍は捕虜を捕まえると、その場で射殺したり、捕虜を木に縛り付け、古参兵が銃剣で何度も突き刺した、と打ち明ける。男性はこの任務に就かなかったが、捕虜の断末魔の声が耳に残る。
こんなこともあった。この男性が中国人男性を荷物運びの部隊に連行した時のことだ。中国人男性が夜中、銃剣を奪う騒ぎを起こした。騒ぎの理由を問いただしたが、何も答えなかった。このため、小隊長は男性の首を斬り落とした。「私が連れていかなければ……」と後悔した。
昭和史を研究するノンフィクション作家は社会人向け大学講座で「日本兵は残虐行為を働いたが、理知的な上官の部隊では蛮行は少なかった」との見方を示した。
自分史の中で男性は「あの忌まわしい戦争の記憶が蘇ってくる。だが、日本の政治家は戦争から何一つ学ぼうとしない。悪政に強い憤りを覚える。私は平和の尊さを、声の続く限り訴える。私が希求するのはただ一つ、平和だ」と書き込んだ。
男性は全てを語り終えた後、爆音を響かせて自宅上空を飛行する軍用機を見上げながら、「日本はアメリカの植民地になっている」と顔を曇らせた。
2025年9月1日


