祖父母の五十年忌。大いに語ろう、祖父母のこと。家系図で知る、ご近所のあの人との関係……

自分史活用アドバイザー 西山真由美

今年の三月、私の父方の祖父母の五十年忌法要が、故郷鹿児島で営まれました。

祖父母は、私が生まれる前後に亡くなっていますので、私を含め兄弟三人は祖父母の記憶が全くありません。仏壇の上の方にあった遺影写真で顔だけは毎日見ていましたが。

その上、両親が十年ほど前に亡くなりましたので、両親の生前に祖父母に関するエピソードを少し聞いたくらいで、ほとんど何も知らないのと同じです。

私の父は六人兄弟の一番末っ子で、一番上の兄(私からみると、伯父)とは二十歳近く年が離れていましたので、兄弟(伯父・伯母)もすでに亡くなっていたり、遠方にいたり、また入院していたりで、五十年忌法要に出席することができたのは、伯母二人、そして、いとこが十二人でした。

父の兄弟の歳が離れているということは、いとこ同士の年齢差も大きく、最高で三十歳ほど離れています。ということは、年長のいとこは祖父母との交流もあり、かわいがってもらっていたようで、よく覚えているということでもあります。

五十年忌法要当日の食事会では、祖父母の思い出のエピソードを一人ずつスピーチしました。それぞれに、祖父母との思い出があり、エピソードの内容はとても楽しいものばかりでした。写真でみていただけの祖父母の姿が、ありありと想像できました。確かに、DNAは受け継がれている!! という確信が持てるエピソードもありました。

祖父母の事を知らない私たちにはとても新鮮で、もっと早く聞いていれば、両親といろいろな話ができたかもしれません。

今回の集まりに、いとこが戸籍やお墓、墓誌(お墓に埋葬されている方の没年月日や戒名・俗名・年齢など、略歴を記した石)、過去帳などを調べて『家系図』を、そし兄が『祖父母の生まれた当時の新聞』を準備していました。

『家系図』を見て、初めて、自分たちの祖先がどういう名前の人たちで、どの時代を、どこで生きていたのかということを知ることができました。また、ご近所に住んでいて、母がよく話をしたり、お宅にお邪魔したりしていた方が、実は親戚で、どういう関係の方だったのかがよくわかりました。

家系図を見て、エピソードを聞くにつけ、たくさんのご先祖様の命を受け継いで、今自分がここにあることが実感できて、なにか心がぽっと温かくなるような感覚を覚えました。

また、『祖父母の生まれた当時の新聞』には、西郷従道(西郷どん、西郷隆盛の弟)の記事があり、遠い歴史上のことだと思っていたことを身近に感じることができました。

そんな激動の時代においても、我が先祖は地元にしっかりと根をおろし、日々の生活を送っていたのかしら……と想像してみたり。本当に楽しいひとときでした。

集まった親戚一同、興味深く家系図や新聞記事を見ていました。家系図や昔の新聞は、こういう場で、話のきっかけや話題作りに非常に有効なツールになるのだと実感しました。

余談ですが、こういう場には必ず「虫眼鏡・ルーペ」を準備しておいた方がよさそうです。「字が小さすぎて、読めなーい!!」と言い出す方もいらっしゃいますから。

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