【シネマで振り返り 30】時には美しい薔薇の花を飾り、人と時を想う …… 「60歳のラブレター」
自分史活用アドバイザー 桑島まさき
2007年以前、世間では、高度経済成長期を企業戦士となり猛烈に働いた団塊世代の定年退職が始まる「2007年問題」として、定年後の第二の人生を様々な切り口で提唱しはじめた。実のところ、定年を待たずして深刻な不況によって離職を余儀なくされた方たちも少なくなかったが。競争社会をがむしゃらに働き、退職金をもらって少しのんびりして第二の人生をスタートさせたいと思っているところへ不況の波がおしよせ経済的安定がなくなり、当然のように横にいた妻から家にいると疎まれる……となると、あまりにもお気の毒だ。人生80年(?)の現在、定年退職をワクワクして迎えられている人はどれほどいらっしゃるのだろうか……。
日本国内には、「日本一短い母への手紙」や「60歳のラブレター」といった国民的投稿企画というものが幾つかある(あった)。「60歳のラブレター」は、長年連れ添った夫婦が普段は恥ずかしくて口にだして言えない感謝の気持ちを文章にするという企画で、かつて8万通をこえる応募があったというから驚く他ない。そして、映画化が実現し、映画版「60歳のラブレター」が2009年5月に劇場公開された。
キーワードは、団塊世代、老後の充実した生き方、夫婦の絆だ。深くも浅くもなく、生活圏で微妙な距離で関わっている3組の熟年カップル(2組は夫婦、1組は恋人同士)のそれぞれの物語を通して、かけがえのないパートナーとの絆の大切さを描き、迷える熟年世代の生き方の指標となり静かな感動を与える。
3組のカップルを演じるのは団塊世代と少し下の世代の役者たち。監督は公開当時32歳の深川栄洋、脚本は大ヒット作「ALWAYS 三丁目の夕日」の古沢良太。団塊ジュニア世代のクリエーターたちが団塊世代の人生をどう描くか、とても興味深かった。
仕事一筋で家庭を顧みなかった孝平(中村雅俊)と専業主婦のちひろ(原田美枝子)の夫婦。定年を迎えた孝平は恋人の経営する会社に再就職する予定。娘が出産を控えているが自分のこれからの生活にしか関心はない。妻のちひろはそんな夫に文句ひとついわず30年連れ添ったが、定年を機に熟年離婚することが決まっていて、何の未練もない。
ちひろ夫婦の家の近くにすむ魚屋夫婦、正彦(イッセー尾形)と妻の光江(綾戸智恵)はケンカばかりしている。糖尿で通院している正彦は妻に先立たれ娘と2人でくらす医師・静夫(井上順)に診てもらっている。静夫はマジメだが大腸菌の研究ばかりしてきて、出世コースから外れてしまったが、気の優しい男だ。そんな静夫の最近の楽しみは、海外医療小説の監修依頼をされた翻訳家・麗子(戸田恵子)と打ち合わせで会うことだ。同世代の彼等、皆それぞれの人生の問題に迷い悩み、大切なものは何か、自分なりの道を進んでゆく……。
男優陣、女優陣、同年齢の役者たちが好演、6人それぞれが自分のプロフィールを絶妙なタイミングで語る。役者としてもベテランの彼等が、戸惑い彷徨う中年の危うさや貫禄、微妙な心情の揺れをさりげなく演じている。
一般公募企画にふさわしい3組のカップルが絆を深めたり取り戻したりしてゆく見せ場が、心憎い演出で描かれている。孝平夫婦のラベンター畑、正彦夫婦のビートルズの名曲、静夫カップルの英語の恋文など。
いつも傍にいると意外に気付かない、大切な人の存在の大きさ。人生にはたまに事件が起こらないと倦怠という魔物が巣くうもの。極上のスパイスが必要なのかも。嘘だと思うなら、昔つづった日記やラブレターを読み返してみるとよい。たまには綺麗な花を買ったり飾ったりして日常に彩りを添えるのは良い考えだ。
*「60歳のラブレター」 (2009年5月16日 劇場公開)
60歳のラブレター : 作品情報 - 映画.com