[記録]は流されても[記憶]は流されない。自分史で日本を元気に。

2012年3月11日、東日本大震災と巨大な津波被害が発生してからちょうど1年。「東日本大震災1周年追悼式」(国立劇場)が行われた。冠動脈バイパス手術を受けられ術後静養中の天皇陛下が出席され、黙とうを捧げられた。

2日前の3月9日夜、私たちも犠牲になられた被災地で亡くなられた方々に黙とうを捧げた。
私たちとは、私が企画したトークイベント「東日本大災害から1年―記憶と記録について考える―自分史と市民ビデオの役割」に参加された皆さんだ。被災者のこと、被災地のこと、復旧・復興の状況、原発事故の推移と行方、人それぞれの関心と深い思いを持ちながら私の「自分史と市民ビデオの役割」の話を静聴してくれた。

1年前の4月、私は2回にわたって仙台を中心に水戸、いわき、松島、宮古、陸前高田など被災地の状況を取材して歩いた。
編集者としてまた企業広報のアドバイザーとして、未曾有の大災害の状況―特に、企業と社員は3:11にどのように対処し行動したのか―を直接取材してレポートしなければという使命感からだった。その後の東日本大災害に関するマスコミ報道や災害記録のアーカイブの動きはご承知の通りだが、最近注目しているのは、被災者の体験と心情を綴った冊子や文集の出版である。私は「市民による記憶の記録とその発信」そして多くの人がそれを読むことこそ、災害の記憶を風化させないために欠かせないと思っている。

『震災の石巻―そこから―市民たちの記録』(創風社)
『「つなみ」の子どもたち―作文に書かれなかった物語』(文芸春秋社)
『あったかい手―宮城県石巻市、海の近くの避難所5カ月のことば』(ぱんたか刊)
『あの日のわたし―東日本大震災99人の声』(創栄出版刊)

トークイベントで私は、これらの本を紹介した。被災者それぞれの体験の記録の集積こそが東日本大災害の市民アーカイブであり、後世に伝える地域の歴史記録となる。上記以外にもたくさんの被災体験記が出版されているが、名もない庶民の記録―それは個人史の断面である―の持つ意味が、東日本大災害を機に問われているのではないか。

「人は誰しも歴史を持っている。それはささやかなものであるかもしれないが、誰にも顧みられなく、ただ時の流れに消え去るものであるかもしれない。個人史は当人にとってはかけがいのない生きた証であり、無限の想い出を秘めた喜怒哀楽の足跡なのである。この足跡を軽んずる資格を持つ人間など誰ひとり存在しない」(色川大吉『ある昭和史―自分史の試み』から)

トークイベントには「NPO法人市民がつくるTVF」代表理事小林はくどうさん(映像作家)も参加、「市民映像で見る東日本大災害の記録」と題して、市民が作ったビデオ作品を上映、解説してくれた。
津波で流失した沢山の写真がボランティアの手で回収され、水洗いや修復して集中展示され持主の手に戻す作業が継続されている。東京大学大学院情報学環の学生たちが制作した「甦る写真・そして記憶」という作品は、その作業に従事した学生たち体験の様子と被災者への思いが伝わってくる作品だった。

自分史を書いていく上で過去の写真や思い出の場所の地図は回想の引き金であり不可欠なものだ。気仙沼や南三陸にお住まいだった人が自分史を書こうと思い立つ。写真やアルバム、日記や手帳が流されてしまっていたら…。
記録は流されても、記憶は流されない。被災地の皆さんはいまなお不本意な生活を強いられているが、いつの日か、あの日に体験したこととその後の暮らしを、記憶を甦らせ自分史として綴っていただくことを願っている。
書くための回想があなたを元気にし、いつかそれを読む家族に勇気を与えるはずだ。

自分史で日本を元気に。

前田義寛(代表理事)

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