100年後の平和へ届ける「当たり前の毎日」という自分史

一般社団法人自分史活用推進協議会理事 前田浩

「ねえ、戦争のこと教えて」。小学5年生の息子から不意に投げかけられた言葉が、私の心に深く波紋を広げました。私は戦争を体験していません。しかし、自分史活用アドバイザーという仕事柄、多くの戦争体験者の方々の「人生の叫び」を聴く機会に恵まれてきました。

昨年、戦後80年という節目を前に、私は仲間と共に『今に残る戦争体験』という150ページに及ぶ本を所属する団体(一般社団法人自分史活用推進協議会)で、編纂しました。そこには70人近い方々の記憶が刻まれています。息子の問いに答えるため、私はその中の一遍、堺原爆被害者の会の方々が2019年に長崎原爆資料館を訪れた際のエピソードを紐解きました。

資料館に並ぶ、あの日から時が止まった遺品の数々。1945年8月9日、午前11時2分。一瞬にして奪われたのは、私たちが今こうして過ごしている「当たり前の毎日」でした。被爆二世として語り部活動を続ける松永哲子さんは、自らの母親の壮絶な体験を語りながら、「核兵器がどんなに悲惨かは被爆者しか話せないことがある。絶対に使ってはいかんと伝えたい」と、涙ながらに決意を述べておられました。

息子に伝えたかったのは、戦争の悲惨さだけではありません。平和とは、誰か一人が作るものではなく、未来を生きる子供たちが「何があったか」を知り、対話することから始まるのだということです。「自分は何のために生きるのか」「誰を幸せにするのか」。息子の真っ直ぐな瞳を見つめながら、私自身もまた、その問いを突きつけられる思いでした。

この「記憶の継承」という課題は、身近な家族の間でも同じことが言えます。先日、義父の部屋を訪ねた際、義父は2021年に書かれた「疎開先での生活」についての原稿を大切そうに見せてくれました 。約2000文字にまとめられたその記録には、これまで一度も聞いたことがなかった家族のルーツや、尊敬するお姉様への想いが溢れていました 。

義父は、相続の整理と共に、これまで一緒に生きた皆さんに感謝を伝えたいという一心でペンを執っていました 。長崎で「絶対に二度と繰り返してはいけない」と語り継ぐ方の想いも、義父が「家族に感謝を残したい」と綴る想いも、根底にあるのは「大切な人を守りたい」という深い愛です。

自分史とは、過去を懐かしむためだけのものではありません。長崎の原爆が奪った「当たり前の毎日」がいかに尊いものか。それを次世代に伝え、平和な未来を創造するための「希望の種」なのです。息子からの問いかけは、私にその使命を再確認させてくれました。

自分史年表を広げ、家族で言葉を交わすひと時 。その重なりが、いつか100年後の誰かを救うバトンになると信じて、私はこれからも「想いを聴き、遺す」お手伝いを続けていこうと思います。