「あんころもち」が繋いだ家族の歴史

自分史活用アドバイザー 田和真由美

皆さんはお母さんの好きな食べ物をご存知ですか?
では、おじいちゃん・おばあちゃんの誕生日をご存知ですか?

私も母の自分史を作るまでどちらも知りませんでした。

自分史が教えてくれたこと。
「100年前のお話は100年後の力になる。」

今日はみなさんに私が体験した「自分史のチカラ」をお伝えしたいと思います!

去年の春まで京都で暮らしていた私は、
次男の高校進学を機に、東京に引越してきました。

東京には友人もいなかったので自宅、スーパー、図書館の
ほぼ三角形の中で暮らしてました。
当時の私は、慣れない土地に中々馴染めず、とても寂しかったんです。

ある日、親友のお母さんが急に亡くなりました。
「なんで母が元気なうちに、もっと話しておかなかったんだろう」 と、
彼女は、すごく、すごく後悔をしていました。

私も、長野の田舎で暮らす母が70歳を超えて、
あと何回くらい実家に会いに行けるかなぁ?と思っていた頃。
「私も今、母が元気なうちに話をしなかったら絶対、後悔する」そう感じました。

というのも、10代の頃の私は、母に対してとても反抗的だった時期があり
振り返ってみると、
いっぱい心配かけたなぁ…
辛い思いもさせたなぁ…
そう思います。

その後、一人京都に行ってから約30年が経ち、
母とも年に1、2回しか会わなくなってしまっていて、
ちゃんと話をしたいと思ったところで
実際にはいまさら聞きずらいことばかりでした。

そこで、私が母の「自分史」を作ったら、母は絶対喜ぶし、
これを機にたくさん話もできる。と思い、
「お母さん、自分史をプレゼントしたいから、いろんな話しを聞かせて」と伝えました。

最初は少し照れもありましたが、私から、ひとつ、ひとつ聞いてみたいことを聞き、
母からも聞かれてはないけど娘に伝えておきたい。と思っていた感情が
溢れ出てきました。

母が大切にしてきた、家族の思い出も一緒に振り返りました。
例えば、
母の学生時代の文集、結婚式・ママさんバレー・子供達が幼い頃の家族写真
その中に母の母、私にとってのおばあちゃんのものもありました。

昭和20年代の母子手帳・日記や預金通帳。

おばあちゃんの日記には、
おじいちゃんの病気のこと、
子供たちの心配ごと、
今日の農作業の記録、
本家へ支払った年貢について、
その日の出納帳、
おから40円 、さんま3本250円、割ぽう着980円

今と物価はあまり変わらなかったんだね。と話してた次の瞬間、衝撃を受けます。

当時の手書きの預金通帳には
預入 50円、100円、 少し貯まると 引き出し金額 1000円 と
書かれているではありませんか!

サンマ

サンマ250円の価値!!!!
海のない長野で、子供たちに魚を食べさせてやりたいという母心を感じ
お母さんと私は一緒に涙しました。
人が生きるという事は、一生懸命働いて、生活をする。
そして、そこには 「家族を守るんだ!」 という ”強い思い” があるということを実感しました。
その頃から
私は、それまで感じたことのなかった不思議な気持ちになっていきます。

おじいちゃん、おばあちゃんはもう何年も前に亡くなってるんですが
なんか、いつも私の近くにいてくれるような気がして、
三角形の生活も寂しくなくなり、不安が消えていったのです。

「いないけど、いるんです」

これまでは、自分の周りの人間関係って家族、友人、職場など、
実在する人だけだと思っていましたが、
いまは、いつもとなりで寄り添ってくれている、
心のふるさとを見つけたような。そんな不思議な感覚です。

そのほかにも私が母の自分史を作って変わったことがあります。
一つ目は、母に聞きたいことを何でも聞けるようになったこと。
二つ目は、家族への愛情は、昔から繋がってきているるんだということを
あらためて知り、母に素直に「ありがとう」と言えるようになったこと。

三つ目は、母の好きな食べ物を聞いて、私の好きな食べ物がひとつ増えたこと。
母の好きな食べ物は、「あんころ餅」。
これを聞く前の「あんころ餅」は私にとっては、ただの「あんころ餅」で
目に留まることは、ありませんでした。

あんころもち

でも今は違います。

スーパーで見つけた「あんころ餅」は「あっ!お母さんの好きなあんころ餅だ」
と思って、ついつい買ってしまい、食べるときにも、お母さんを思い出し、
あんころ餅から、ちょっとだけ元気をもらっているんです。

そして思い出しました! この、「あんころもち!」
大正5年、1916年生まれのおばあちゃんも大好きだった!

半年前と今とでは命に対する考え方が変わりました。
明日は約束されてますか?

今日、私がみなさんにお伝えしたいことは
どの家庭にも当たり前のように、たくさんの物語があります。

自分史は、まさに家系を繋ぐタスキなんです。

大切な人の人生や沸き上がった感情はその時代に間違いなく存在し、
直接は聞けなくなってしまった言葉たちからも、
今を生きる私たちが、勇気と希望を受け取とるのです。

100年前のお話が100年後の力になります。

「自分史」は自分のために

「自分史」は大切な人のために

「自分史」は後世のために

人生の終盤、90歳となったおばあちゃんが記した言葉
「楽しむぞと、呪文をかけると、どんなことでも、ちょっとばかり変わってくるものだ」でした。

ぜひ皆さんも
「お母さんの好きな食べ物ってなに?」聞いてみてください。

そして、いま、語ってくれる人がいるなら、
その問いをキッカケに家族の歴史も聞いてみませんか?