【シネマで振り返り 21】道徳と現実のジレンマとどう向き合うべきか ……「ヴェラ・ドレイク」
自分史活用アドバイザー 桑島まさき
「ヴェラ・ドレイク」は、「秘密と嘘」「人生は、時々晴れ」のイギリスの巨匠、マイク・リー監督作品。2004年ヴェネチア国際映画祭で金獅子賞と主演女優賞を受賞したばかりか、数々の栄誉な賞を受賞またはノミネートされたヒューマン・ドラマの傑作だ。
ヴェラ・ドレイク、人の名前である。1950年、冬。ロンドンの労働者階級の住む一角。主人公のヴェラ・ドレイク(イメルダ・スタウントン)は、夫と2人の子どもに恵まれ、さして豊かではないが、毎日に感謝して生きている慎ましい主婦だ。昼間は裕福な家の家政婦として働き、終わると一人暮らしの母親の世話をし、体の具合が悪い人の家を時々訪れてはかいがいしく世話をする。終わると忙しく帰宅して家族のために食事の用意をする。鼻歌をうたい家事をこなす彼女は、いつも明るく元気で、人を癒す女性だ。
食事はいつも決まって家族一緒。だから彼女の家庭はいつも笑いが満ちている。働き者で心優しいヴェラは人に尽くすことが少しも苦にならない面倒見のいいオバチャンだ。近所の人々からも信頼され、夫のスタンは妻を深く理解し、明るい息子のシドや内向的な娘のエセルも彼女を尊敬している。
実は、彼女には人にはいえない秘密があった。当時、イギリスで禁止されていた堕胎の手伝いを家族に内緒でしていたのだ。
勿論、法律で禁止されているとはいえ、望まない妊娠や諸事情で産めない女性たちは、病院の紹介で合法的に堕胎をしていた。100ポンドほどのお金があれば。しかし、高額なお金を用意できない低所得層の女性たちは、非合法なやりかたで堕胎をするしかないという不公平社会の現実が、確かに存在していたのだ。本作では、ヴェラが家政婦として勤務する裕福な家の娘がレイプされ堕胎するプロセスが、ヴェラの転落の物語と並行して描かれる。
労働者階級に属するヴェラは犯罪だと認識しつつ弱者の女性たちに同情し、堕胎を自分なりに正当化し女性たちを「助け」てきた。ヴェラに堕胎を仲介するのは、彼女の幼馴染のリリー。リリーにはヴェラのような正義感はなく、堕胎をビジネスとして考え困っている女性たちから斡旋料をせしめていた。しかし、おひとよしのヴェラはその事実を知らない。彼女はあくまで弱者救済が目的なのである。
そして、ヴェラの純粋無垢な行動が家族の平安な日々を壊してしまう。ある日、ヴェラが堕胎を助けた娘が死にかけたため非合法な堕胎が明らかになり、手をかしたヴェラの<罪>が問われることになる。
主婦ヴェラ・ドレイクのしたことは罪の領域なのか?
日本映画を例にとるならば、2005年度日本アカデミー賞最優秀作品賞を受賞した佐々部清監督の「半落ち」。若くしてアルツハイマー病に冒され、二度と死んだ息子を忘れないように自死を望んだ愛妻を殺した主人公(寺尾聰)の罪の是非は? 主人公は、法の番人である優秀な刑事だ。殺しがいけないことなど充分承知している。だから自分の罪を潔く認め、法に自分の身を委ねた。同じように、ヴェラも法に全てを委ねるしかなかった……。
本作では、家族が犯罪者になった場合、犯罪加害者の家族はどうその罪を受け入れ、生きていくかが興味深く描かれる。妻を愛し理解する夫は善良な魂ゆえの犯罪として妻を許し、家族を説得する。女性の生きつらさを理解できない息子はこの件で母親を嫌悪し冷たくあたる。結婚を前にした娘は困惑しながらも母の身を案じ同情する。世間の偏見は冷たく、ヴェラがいなくなった家庭は寂しい。
無私無欲、聖母のような清らかな魂をもったヴェラの物語は、現在にも通じる普遍的な問題を内包し考えさせられる。
※ 「ヴェラ・ドレイク」(2005年7月9日公開)
ヴェラ・ドレイク : 作品情報 - 映画.com
「半落ち」(2004年1月10日公開)
半落ち : 作品情報 - 映画.com