自分史で大切なのは『タイトル』より『目次』
自分史作成サービスをしていると、ときどき自分史のタイトルに非常にこだわるお客様がいる。しかし、タイトルに時間や労力をかけるのは自分史の場合、あまり意味がない。
もちろん、一般の書店に置かれる商業出版ではタイトルが非常に重要である。無数に並べられた本の中から「手にとってもらう」には、タイトルで読者の興味を引きつけるしかないからだ。
一方、自分史の場合はそれと異なる。多くの場合、親族や身近な知人に直接手渡される。つまり、一般書籍に課された「手にとってもらう」というハードルは最初から越えているのだ。
そのため、タイトルで読者を引きつける必要はない。それこそ「座右の銘」「好きな言葉」といったタイトルで、まったく構わないだろう。
それよりも、自分史で重要なのは『目次』だ。ここが陳腐だったり、おおざっぱに章単位でしか分けられていなかったりすると、なかなか読んでもらえない。
ここ数年で最も面白い自分史といえば、日本経済新聞に連載された「お値段以上、ニトリ」で知られる似鳥会長の自分史だろう。この作品の目次には、たとえば次のようなものがある。
「恐怖の自転車配達」「歌手『似鳥昭雄』の夢」「広告会社をクビになる」「わらにもすがる米国視察」……いずれも思わず読みたくなったのではないだろうか?
これを参考にして自分の自分史でも目次にこだわれば、どこかに読者は興味を持ってくれる。そして、そこを起点に本文を読み始めてもらえるのだ。
自分史は頭からじっくり読んでもらえなくても、その読者に関係の深いところだけでも読んでもらえれば、目的は半ば達成されたようなものである。その部分の感想をもらうことができるし、直接会った時にその部分の話に花を咲かせることもできる。
実際に読んでみた部分から本人の人生全体に興味がわき、他の部分を読んでもらえることもあるだろう。
ポイントは、目次をエピソード単位に細かく区切ることである。さらに、面倒くさいと単なる数字にしてしまったり、単語だけにしたりせず、「いったいどんな内容なのだろう?」と読者の好奇心をくすぐるものにすること。「……の真相」とか「……の秘密」といった、週刊誌でよく使われるキーワードを入れるのも有効だ。
良い目次かどうかは、できあがった後に誰かに見せて感想をもらうことで判断できる。自分史を全部読んでもらうのは大変だが、目次だけなら負担は少ない。
読んだ人が「これはどんな内容なの?」といくつか聞いてくれれば、それは良い目次。なんのコメントもなければもっと工夫する余地があるということだ。皆さんの自分史づくりに少しでも役立てば幸いである。