ときめきの自分史―いくつになっても自分を見つけるために
私は51歳のときに乳がんになり、60歳の還暦まで生きることができたらどんなに素晴らしいだろうと思いました。その頃の私にとって60歳=老後というイメージだったのです。再発を恐れて生きた50代、ところが乳がんは再発せず60歳を迎えることができて逆に私はとまどいました。60歳以降は老後だと思っていたのですが、少しも自分が「老後の入り口に立った」という感じがしなかったからです。老いたというにはまだ早く、やり残したことがあるような気がするのだけれど、それが何なのか自分でもよくわかりませんでした。
50代という大切な時期を、再発を恐れ、老後の楽しみのためにとっておこうと思っていたコーラスや、夫との海外旅行を先取りして楽しんだので、人生の楽しみを終えてしまい、念願の60歳を迎えても、あらためて自分がやってみたいことがないような気になっていたのです。
そんな時に自分史と出会いました。自分史活用推進協議会が立ち上がったばかりの時期で、イベントディレクターや経済ジャーナリスト、PRプランナーなど多彩な仲間が結集して、「自分史を活用して自己の理解を深め、自分の強みを発揮して自分らしく生きる人を増やそう」「そうすることで日本を元気にしよう」と意気込みに満ちていました。
NHKのEテレ「団塊のスタイル」に理事が登場し、東京・両国の江戸東京博物館で自分史イベント「自分史フェスティバル」を開催したことで知られるようになり、協議会の認定する自分史活用アドバイザーの資格を取得した仲間が全国に広がっていきました。
その渦中にあって、私はやっと自分がこれまで培ってきた経験とスキルを、社会のために役立てることができる場を得たと思いました。若い頃から私は広報誌の編集を任され、経営者や学者の自分史を執筆し、リクルートの創業者である江副浩正氏の自叙伝の編集に携わってきていたので、自分史がどれほど人の心を癒し、人と人を結び付けるものであるか知っていたからです。
インド独立の父、マハトマ・ガンジーは「明日死ぬと思って生きなさい 永遠に生きると思って学びなさい」と言っています。長く生きることができるのか、長く生きることができないのか、それは誰にもわかりません。でも、ガンジーの言うように、永遠に生きると思って学び続け、人生を価値があるものとして過ごすことができれば、どんなに素晴らしいでしょう。
ひと仕事を終えたあと、もうひとつ何かをやってみたいと思う自分を見つけて何かを始めることで、人も社会も元気になっていきます。その何かは、自分史の中に眠っています。いくつになっても、新しい自分を見つけるために。私は自分史を広げていきたいと思っています。