「老爺を忘れないで」と願った自分史
知り合いの住職から、こんな質問を受けたことがある。「人は息を引き取る直前、何を一番望むと思いますか」。下世話にも「お金ですか」と答えてしまった。住職は一呼吸置いた後、「自分のことをいつまでも覚えていて欲しいと願うものです」と教えてくれた。続けて、「自分史の制作担当者として、知っておいて損はない話では?」と付け加えた。旅行会社に勤務、退職した男性の自分史もその一つだ。「私の自分史を手に取って老爺を思い出して欲しい」との思いを込めた。
男性は大手旅行会社で携わった仕事の内容や家族との日常生活を、野球のスコアブック(試合経過記録帳)を付けるように記録してきた。
「出会ってほどなくして親しくなった人」「年月を経て仲良くなった人」「一時の出会いだったが心に残る人」「長い歳月とともに疎遠になった人」「忘れてはいけない恩義のある人」「袂を分かつことになった人」……。退職後、出会った人たちの顔が、走馬灯のように思い出した。何気ない励ましの「一言」もかすかによぎる。その頃には後戻りが出来ない人生。胸に刻まれた「感謝の気持ち」に加え、子や孫に「私のことをいつまでも覚えていて欲しい」との気持ちを残すため、自分史作りに踏み切った。
生き方に思い悩んでいた学生のころ、高校の歴史教師の「教え」が心の支えになった。受験に対応した暗記型の授業ではなかった。歴史書に残る人物の影に、多くの「民衆の存在」があったことを教えてくれた。最高学府を卒業しながら、「立身出世」に距離をおいた教師の生き方に惹かれた。歴史の面白さに夢中なった。
この教師とよく史蹟巡りに出掛けた。知らない土地を歩く楽しさを味わった。そして、国内外の知らない土地を歩くチャンスがある旅行会社に迷わず就職した。
プロ野球のスコアラーが付ける「スコアーブック」のように、人生の出来事を「打席」に見立てながら記録している。時には本塁打者、または三振打者、サヨナラ安打を放った殊勲打者となったことも。単なる出来事の羅列ではなく、国内や海外で団体客を添乗した時の失敗エピソードも包み隠さずに記録。先輩・同僚・後輩社員に助けられ、支えられて無事乗り切れたことに、「深い感謝の気持ち」を添えている。
この自分史で微笑ましいのは「家族への思いやり」が色濃く出ていることだ。仕事に関する文章の合間に、妻との結婚式、長男・長女誕生の喜び、さらに、家族と出かけた旅行の写真を多く差し込んだ。「家族の存在は特別だった」。今の気持ちを素直に書き記した。
男性の自分史作りで、思わぬハプニングがあった。自分史作り合間に雑談を交わしていた時、男性と私の父が同じ旅行会社に勤務していたことが判明したことだ。父は自宅で仕事の話をほとんどしなかった。私からも積極的に聞かなかった。そんな中、男性の話から職場での父の姿が明らかになった。男性はこう語った。
「私から見たあなたのお父さんは雲の上の人でした。重要な部署を率いていました。社長が会社の内外に示した文章はお父さんが書いていましたよ」
父の知られざる一面に触れた瞬間だった。そして、父の生き方を知る機会にもなった。亡き父を誇らしく思った。自分史が完成した後、出版祝いを兼ねて、男性を築地の有名なすし店に誘った。時間が経つのも忘れて、父のことを聞いた。
この時、このような自分史を書いてみようとの気持ちが芽生えた。そして、稚拙な文章を連ねた自分史をまとめた。自分史作りのきっかけになっただけに、心に残る自分史執筆者となった。
2025年10月29日


