自分史を味わうための読書(3) 自分史の原点

一般社団法人自分史活用推進協議会理事 河出岩夫

「自分史を味わうための読書」と題して、これまで2点のコラムを執筆しました。
しかし、一口に「自分史を味わう」といっても様々な書籍が出版されていて、何をどのように読めばいいのか迷うかもしれません。
私はここのコラムでは、自分史へアプローチする読書として、以下の4つの視点に分類しています。

  1. 自分史とは何か(自分史の意義について書かれている本)
  2. どんな自分史があるか(実際に書かれた自分史、自叙伝、伝記、ルポルタージュまで)
  3. 自分史の書き方(How to本)
  4. 自分史の栄養分(自分史をより味わい深くするための補助的な本)

2024年7月に掲載した「自分史を味わうための読書1 思い出はつくられる」の内容は、上記で「4」に分類した自分史の栄養分にあたります。思い出や記憶の確かさについて考察したもので、自分史を書くうえでの心得として紹介したものです。
次に、2024年9月に掲載した「自分史を味わうための読書2 山崎朋子を読む」は、「2」の自分史を紹介する内容です。山崎朋子の記した書籍とともに、山崎自身の自叙伝を併せて紹介しました。

さて今回は「1」の自分史とは何かについて書かれた本を紹介します。
自分史誕生の原点となった『ある昭和史-自分史の試み』(中央公論社)、この本を差し置いて、自分史を語ることはできない一冊です。
著者の色川大吉氏は歴史学者で、中でも民衆史の提唱者として広く知られています。戦前までの歴史学とは、いわゆる歴史学者が空の上から下界を見下ろすように俯瞰して歴史の要点をとらえ、編纂してきたものといえます。そうした中、色川大吉は同じ歴史家として、民衆の語る言葉の中にこそ真実への扉が隠されていると看破しました。しかし、当時多くの歴史学者は、客観性に乏しい庶民の言葉を重んじようとせず、色川の提唱に耳を傾けようとはしませんでした。
それでも色川は粘り強く自説を唱え、その手法として「自分史」という言葉を生み出し、世に提唱したのです。その記念すべき一冊こそ『ある昭和史-自分史の試み』なのです。
発行された1975年(昭和50年)は、奇しくも戦後30年の節目となる年でした。この本は30万部を超えるベストセラーとなり、全国に自分史という言葉が広まる嚆矢となりました。
歴史とは、学者が空の上から俯瞰して見るだけではなく、大地に立つ民衆が下から言葉を発していくことでこそ、見落とされてきた歴史、あるいは抹殺されてきた不都合な歴史の糸口を残すことができる。民衆史を専門とした色川大吉が、自分史を世に送り出したことは必然であり、今それを様々なかたちで応用、活用している我々にとってはまさに恩恵ともいえるのです。

『ある昭和史-自分史の試み』はタイトルの通り、自分史を書くこと自体がまだ「試み」として提唱されている段階です。本書では、色川大吉自身の生い立ち、色川に影響を与えた橋本義夫の歴史、そして庶民の歴史を相対化させる大きな存在として昭和天皇の歴史を併記しながら、一人の人間の人生が歴史的にどのような意味として構成され得るのか、立体的にとらえていこうとする試みであったのです。
しかし、『ある昭和史-自分史の試み』は自分史誕生の原点となったことで脚光を浴びたものの、実際には色川大吉の試行錯誤の第一歩に過ぎないのでした。後年、色川はこの本を補完するように『自分史-その理念と試み』(講談社)をはじめ、色川自身のまだ語り得ぬ自分史を複数の著書を通して自己開示していくことになります。

2025年は、戦後80年、そして『ある昭和史-自分史の試み』の発行からちょうど50年(つまり、自分史誕生50年)の大きな節目でもあります。
2021年に色川氏が亡くなった今、巷には様々な「自分史の試み」が溢れています。
そうした中、あらためて自分史とは何か、そしてその本質はどこになるのか。それを問うためにも、原点に立ち返るきっかけとして、この一冊は今なお存在感を持ち続けているといえるのです。

《今回取り上げた本》
『ある昭和史-自分史の試み』(色川大吉/中央公論新社/1975)
『自分史-その理念と試み』(色川大吉/講談社)