自分史を味わうための読書2 ~山崎朋子を読む~

一般社団法人自分史活用推進協議会理事 河出岩夫

「からゆきさん」という言葉にピンとくる人が、今の時代にどれほどいるだろうか。

この言葉が生まれたのは江戸時代の長崎は出島に遡るそうだが、日本で広く知られるようになったのは、今から50年以上前に出版された一冊の本がきっかけだ。日本女性史研究家の山崎朋子が記した『サンダカン八番娼館 底辺女性史序章』(筑摩書房)という本によって。

山崎朋子の著書

「からゆき」とは漢字に当てると「唐行き」であり、語源としては中国人を相手に商売をする日本人全般を指したが、明治以降、アジアやインドなど国外へ出て主に娼婦となった日本人女性を表すようになっていった。ちなみに1980年代に入り日本が円高好景気に沸くと、今度はアジアから日本へ出稼ぎにやってくる女性たちが増えた。メディアでは彼女たちを(「からゆきさん」をもじって)「ジャパゆきさん」と呼び、社会現象になったことは記憶している人も多いと思う。

『サンダカン八番娼館』は山崎によるルポルタージュである。主に大正中期から昭和初期にかけて日本で行われていた人身売買によって、ボルネオの港町サンダカンで娼婦として働かされていたサキという一人の女性の回想を中心に構成されている。山崎の取材当時(1968年)、高齢となっていたサキはサンダカンから帰国し、生まれ故郷の長崎天草で一人暮らし。そのサキの家に山崎が住み込みながら、「からゆき」時代の出来事を聞き書きしたものである。

こうして世に出された『サンダカン八番娼館』は、「からゆき」という語られざる日本近代史の裏側に光を当て、折しもウーマンリブの機運が高まる時代背景にも後押しされて話題作となった。1973年には本書で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。1974年には東宝映画『サンダカン八番娼館望郷』として、栗原小巻や田中絹代が主演を務めた(この映画は原稿を書いている2024年6月現在、U-NEXTで鑑賞できる)。

さて、「自分史を楽しむための読書」として私が紹介したいのは、山崎朋子という人間の人生について書かれた自叙伝『サンダカンまで わたしの生きた道』(朝日新聞社)についてである。『サンダカン八番娼館』から約30年を経て、70歳を目前にした山崎がその半生を振り返り、書き綴ったものだ。彼女の生い立ち(母親との確執)、将来の夢、そして悪夢のような出来事(26歳で顔面を切り付けられ68針の大怪我を負う)、2度の結婚の経緯など。それらが赤裸々に綴られているだけでなく、いかにして山崎が「からゆきさん」にたどり着くべくして辿り着いたのか腑に落ちる。

余談ながら、女性の人権解放に目覚める前の山崎朋子が、自分史の生みの親である色川大吉氏へ憧憬と敬意を抱いていた記述が、この自叙伝の中に1カ所だけだが見つけることができた。女優に憧れ上京した山崎が、最も関心を寄せた劇団のリーダーが、当時三木順一と名乗っていた色川大吉その人であったのだ。

『サンダカン八番娼館』の副題が「底辺女性史序章」とあるが、色川大吉氏も民衆史の研究家として「底辺民衆史」という言葉をよく用いられていた。この「底辺」というキーワードに同根の社会的視点を見ることができ、山崎が7歳年上の色川大吉の思想や歴史観の影響を受けていた可能性はあるかもしれない。

時に人生とは本人の意思に関係なく張られた伏線と、その回収に向かわざるを得ない葛藤の道のりと観ることができる。だが創作された小説や映画作品とは違い、ドキュメンタリーである自分史や自叙伝では、必ずしも伏線が回収できるとは限らない。作家の都合のよいところで物語を終えることもできない。

山崎が取材した「からゆきさん」のサキも、そして山崎自身も、決して癒えることのない痛みを心の内に抱えながら一縷の光を頼りに生きたに違いない。それが人生のリアルであり、自分史や自叙伝の味わいでもあるだろう。

《今回取り上げた本》
『サンダカン八番娼館 底辺女性史序章』(山崎朋子/筑摩書房/1972年)
『サンダカンまで わたしの生きた道』(山崎朋子/朝日新聞社/2001年)