映画と自分史(その2) 人生体験としての映画

一般社団法人自分史活用推進協議会理事 河出岩夫

2025年は映画「国宝」が大ヒットし、国内実写版の歴代興行収入1位を記録したことが話題となった。この結果、「踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!」(2003年)が2位、「南極物語」(1983年)が3位と繰り下がった。
月額固定のサブスクが普及し、実に多くの映画作品が自宅でもスマホでも手軽に見られるようになった昨今。それまでは昔の映画を観ようと思えば、レンタルビデオ店に足を運んだり、DVDを購入していたのだから、コスパもタイパも格段に良くなったといえる。
そんなサブスク映画の影響だろうか、多くの人がわざわざ映画館に行かなくなったのではないか。新作といえども、数ヵ月も待てばサブスクで配信されることが予測されるのだから、わざわざチケットを買って映画館で映画を観るのは馬鹿馬鹿しいと感じてしまう人もいるだろう。何よりサブスクであれば、一時停止もできるし、続きは明日にすることも自由だ。そして、作品がつまらなければ、途中で放棄しても何らふところも痛まない。
映画館で観る映画に比べ、サブスクで観る映画には、たしかに多くの利点があると思える。

しかし、私たちはサブスク映画の利便性を享受している一方で、大切な何かを失っている気がするのである。
いわば、「人生体験としての映画」とでもいおうか。
私の体験を例に、冒頭の歴代興行収入映画でいえば、2025年の「国宝」は、私は妻と娘と一緒に品川にある映画館で観て、それから食事をしながら感想を語り合った。2003年の「踊る大捜査線」の時は、子供がまだ小さかったため、寝かしつけてから深夜上映をしている映画館で妻と一緒に観たものである。そして1983年の「南極物語」を観たのは中学生の時で、父と姉と観に行ったのだが、なぜかその記憶が東京タワーの景色と強く結びついていた。ネットで調べてみると、その当時は東京タワー内に映画館があり(2000年に閉館したらしい)、東京タワーの前には「南極物語」のタロとジロの銅像があった(1959年に設置され、2013年に撤去)。東京タワーの景色と結びついていたのはこのためだ。

つまり、映画というのは作品の内容だけがすべてなのではなく、いつ、どこで、誰と観たのか。そうした非コスパで、非タイパな人生体験とともに映画作品が記憶されるところに、映画館で見ることの意味合いが生まれるのだろう。
私自身、サブスクサービスを享受している身ではあるものの、おそらくスマホで観た映画は、いつ、どこで、誰と見たのか思い出すことはないだろう。その意味で、映画はただのコンテンツの消費に陥る危険性がある。最近は映画やドラマを倍速で観る人がいるらしいが、もしそれが内容さえ分かれば良いという理由なのだとすれば、無自覚のうちに作品に対する一種の冒涜が生じているのかもしれない。

もちろん映画の楽しみ方は人それぞれである。だが、映画が自分の人生体験の中に組み込まれる時、その作品は単なるコンテンツや情報、記号ではなく、有機的な自分自身の一部になるように思われる。 映画と自分史の絆をより深めるには、やはり新作は誰かと一緒に映画館へ行くのがお勧めなのである。