自分史活用アドバイザーの「役割」とは?

自分史活用アドバイザー 櫻井 渉

●自分史活用アドバイザーの役割を考えるきっかけ

自分史相談会の参加者たちが語る人生談は、喜怒哀楽に満ちた「人間ドラマ」の連続だった。どうしたら満足してもらえる自分史を届けることが出来るか? 何度も考えを巡らした。担当した自分史作りを振り返りながら、改めて自分史活用アドバイザーの「役割」を考えた。

●戦後、戦争体験を一切封印してきた男性の自分史

「戦後、戦争体験を一切封印してきた。戦争は人間を数日で狂人に変えてしまう。キナ臭さが増しているだけに、愚かな戦争を孫とひ孫にどうしても書き残しておきたくなった」。この男性は、自分史作りの意思を固めて相談会に出席した。

この男性とは週1回の割合で会い、インタビューを重ねた。聞き取りは20時間を超えた。戦場では、至近距離から敵兵に向けて銃を向けたこともあった。男性が語る生々しい戦場体験は、私の想像をはるかに超えていた。

その一方で、一息ついたときに見せる穏やかな横顔は「孫に愛されている優しいおじいちゃん」を感じさせるのに十分だった。全てを語り終えた男性の顔から「迷い」が消えていた。そして、安らいだ表情が広がった。

自分史完成後、私はささやかな「出版を祝う会」を用意した。男性の唯一の気掛かりは、自分史を読んだ孫やひ孫がどのような感想を持つかだった。乾杯の後、思い切って「お孫さんはどうでしたか?」と聞いた。涙を流しながら孫は、こう語ったそうだ。

「戦場で怪我をしてとても辛かったと思う。でも、おじいちゃんが生きていてくれたから、今の私たちがいる。本当にありがとう。長生きしてね」

心の「重荷」から解放されたのか、男性は日本酒が注がれたお猪口を口に運び、おいしそうに飲み干した。男性が告白した自分史は、家族の結びつきを強める「架け橋」になった。

●難病の弟の半生をつづった自分史が残したもの

その主婦は書きかけの原稿を持って、相談会に参加していた。相談会の一番後ろの席に座っていた主婦は「難病と闘う弟の半生を書き残したい」と話した。原稿を一読した私は、原稿の不足分を補うため、主婦が暮らす地方都市に2回、足を運んだ。

案内された病院で、主婦の弟は不自由な身体をベッドに横たえていた。体調に配慮し、15分置きに休憩をはさみながら聞き取りを進めた。誕生から現在までの歩みを明確に語った。その記憶力のすごさと「生きる希望」を失わない人間力に驚かされた。

家族、恩師、友人への感謝の気持ちを語る言葉の一つ一つに、深い敬意が込められていた。病床には、小学校から大学までの友人や恩師が相次いで訪れていた。

自分史が完成後、私の手元に届いた主婦からの手紙にはこうつづられていた。

「自分史を手にした弟はその後、多くの人に見守られながら旅立ちました。私の気持ちを整理する上からも、弟の半生をまとめて本当に良かった。大切な宝物になりました」

改めて、自分史が持つ「意義」と「奥深さ」を感じた。

●「二つの人間力」とは

自分史事業に携わり始めたころ、書店に出掛けては「自分史」に関する本を探した。購入した本を読み進める一方、私が担当した自分史作りの「経験」を振り返りながら、自分史活用アドバイザーには「二つの人間力」が必要なのではないか?と考えた。

それは、「自分史作りを希望する人の人生を背負う人間力」と「お客様に人生を語り尽くさせる人間力」との二つだ。

人生を語る喜びや悲しみを共有、共感しながら進める自分史作りは簡単ではない。自分史作りを担う自分史活用アドバイザーになった以上、「弱音を吐いてはいられない」と、自分に言い聞かせてきた。

そんな時、40年来の知り合いの住職から誘われて筑波山麓を訪ねた。一服した後、住職は私にこう語った。

「人様の人生を背負う覚悟がなければ、自分史の仕事を引き受けるべきではない。君にその覚悟はあるのか」

厳しい修行を重ね、寺を訪れた人たちの苦悩や心痛を聞いてきた住職だけに、その言葉の重みを感じないわけにはいかなかった。住職の言葉を思い返すたびに、「本当にお客様に寄り添えられただろうか。伝えたい思いを、どこまで引き出すことが出来ただろうか」との気持ちがこみ上げてくる。

●自分史活用アドバイザーの役割はより大きく

世の中はますます騒々しさが増している。国民の不安感は深まるばかりだ。時には立ち止まり、「心の平穏」を取り戻す必要がある。その手段として、自分史作りは打ってつけだ。自分史作りを担当する自分史活用アドバイザーは、より大きな役割を担うことになるだろう。