私の自分史づくりー材料さがし 3

自分史活用アドバイザー 泉正人

岡山で暮らしたこと

昭和から平成にかけて、19歳から35歳までの16年間を瀬戸内の岡山市で暮らしました。

最初に岡山駅に降り立った時には、新幹線が停車する駅であることに新鮮さを感じると共に、本州の地に足を踏み入れたのだということも実感しました。

白壁の家があること、土蔵があること、ほとんどの家が重厚な瓦屋根であること、住宅地の中に車が入れない路地なるものが存在することなど、毎日が新しい発見の日々であり、ずっと旅をしているような気分でもありました。

年間を通して自転車に乗れることや、冬になってもタイヤ交換をしないこと、ほんの少し雪が降っただけでも街の機能不全になってしまうこと不思議な光景に見えました。

7月・8月の暑さには勿論参りましたが、9月になってからも残暑なる時期が続くことも初めての体験でした。私が育った札幌では、8月のお盆が過ぎると、計ったかのように気温が下がり始めて秋の気配を感じ始めたものでしたから。

城が好きで城下町に強い憧れを持っていた私にとっては、毎日城跡へ行けるという日常は本当に夢のような暮らしでした。自然と私の足は岡山城へと向かい、時間がある時のいつもの散歩コースが、岡山城と後楽園の周囲の散策路を歩くこととなっていました。城跡という異空間の空気は日常の重苦しさを忘れさせてくれる癒しの場所でした。

ある日、国指定の重要文化財「月見櫓」の内部を拝観することができたことから、私小説「月見櫓」が生まれました。岡山という何の縁も無かった土地で自分が暮らしていることを不思議に思いながらも、歴史の積み重なった土地という感慨が、心地よく心の中に広がっていくことを楽しむ毎日でもありました。

吉備路と牛窓へもよく行きました。どちらも有名観光地でありますが、シーズンオフには人の姿も少なく閑散としていて、どこか哀愁が漂う場所でもありました。私自身の心がそのような静かな場所を求めていたのでしょう。吉備路は、大和朝廷隆盛の頃に、それに匹敵する巨大古墳を造作できた古代吉備王国という、謎の多い存在の痕跡に触れられる場所でした。

広大な田園風景の中に、違和感を持つように立ち尽くす備中国分寺の五重の塔の姿には、孤独感のようなものが漂っているようでもあり、自分の姿と重ね合わせていたのかもしれません。

まるで眠っているかのように穏やかな瀬戸内海には、物足りなさを感じましたが、歴史的背景や、竹久夢二が感じていた芸術を生む気配を感じたくて、度々、日本のエーゲ海と称される邑久・牛窓の海へ向かったものでした。

倉敷市と言えば、大原美術館がある美観地区が有名ですが、私の場合はそこで暮らしていた16年の間には一度も大原美術館に行ったことが無く、その後札幌に戻ってから、改めて出かけた旅の途中で初めて立ち寄ったという自慢にならない話があります。

倉敷の街について思うことは、観光客向けの顔が、美観地区のごく限られた狭い範囲だとすれば、すぐ裏の路地には、そこに住む市民の日常の暮らしが息づいている二面性を持つ街という感じがします。

美観地区が、観光客向けに美しく化粧をしたよそ行きの顔だとしたなら、私の心の中に残っている倉敷市の思い出は、やはり日常生活の空気感が漂う裏通りの素顔の街なのです。

車で岡山県の中北部へ向かうこともありました。そんなときは車同士が対向できないような山中の細道や、何もない山中に突然小さな集落が現われたりしたりすることに驚くことの連続でした。冬が厳しい北海道では山中での暮らしなど想像もできないことでしたから。そんな一本の山道や山中の集落にも、古代から何百年と続く長い歴史という時の積み重ねがあることには、深い感慨を覚えました。

岡山で忘れられないことは、街の中のいたる所に小さな喫茶店があることでした。その頃はカフェという呼称は一般的ではなく、多くが喫茶店という看板を出していました。

個人経営があり、チェーン店もありました。中には24時間営業の喫茶店も。昭和の時代に地方都市で24時間経営の店はそんなに多くはなかったと思います。

私はと言えば、人と会う時には勿論、一人で小さな喫茶店へ行くことも結構ありました。そんな風に喫茶店との付き合いを結構楽しんでいました。自分自身が喫茶店でアルバイトをしたこともあり、街角の小さな喫茶店でモーニングサービスの朝食を済ませてから、自分が働く別の喫茶店へと向かったこともありました。

何を求めて岡山へ行ったのかと問われれば、北海道とは全く違う歴史と風土が存在する中国地方という地域へのあこがれであり、城下町で暮らすという夢の実現のためであり、旅ではなく、その土地に実際に暮らすことによって見えてくるものを見たかったのだろうと思います。

いつも波風が立っていて、日々が小さな嵐のようだったという気がする岡山時代でした。辛い苦しい事のほうが圧倒的に多かったあの頃ですが、今となっては、私の自分史は、岡山で暮らした時代を抜きにしては語れないものとなりました。

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