私の自分史づくりー材料さがし 2

自分史活用アドバイザー 泉正人

円山公園 2

かつては円山公園の入り口まで薄緑色の車体の路面電車が走っていました。自分の家の近くの電停からスキーを持ち込んでは、友人と共に終点の円山公園へと向かったものです。リフトもない墓地の中の小さな斜面をスキー場代わりにしていたのも、こういった交通の便利の良さが理由でした。

電停の前には小さな個人商店があり、スキーに行った時の昼食は、いつもそこで買う温かい肉まんとコーヒー牛乳でした。あれから四十年以上の月日が過ぎても思い出せる、自分の原点とも言えるような思い出の風景です。

そんな円山公園の入り口近くには、小学校4年生頃の私の友人宅がありました。あの頃でもちょっと古い洋風建築というイメージがありましたから、おそらくは戦後間もない頃あたりに建てられた家だったのでしょう。一般の住宅としてはしっかり造られた建物であるという印象がありました。もし今でも残っていたならば、ちょっとした文化財的な洋風古民家といった風情でしょうか。

青年期に私が札幌を離れて、本当に久しぶりに戻って来た時には、その友人宅はそのままの外観を保ちながらも、カフェレストランに姿を変えていました。新しいオーナーのことを私は知らず、友人の消息も途絶えていました。

特別気が合ったわけではなく、逆にちょっと嫌な奴という感じの、子供らしくない毒を秘めたような友人でした。転校生だったので友人だった期間は短かったです。それなのに私の心に深い印象を残しました。

その後ほどなく、かつての友人宅だった古い民家は取り壊され、その跡地には立派なビルが建ちました。自分の心の中の大切なものが、いつの間にか姿を消してしまったような虚しさを感じた私は、その出来事を自作の短編私小説「また まるやま」「もうひとつの またまるやま」という二つの物語として残すことにしました。

消息が途絶えたかつての友人が、自分の住まいであった古いカフェレストランに、突然ふらっと現れることを期待して、その友人のことを知っているという女性と共に、心のままに待ってみようかというお話です。

私が小学生の頃には、まだ札幌市内のはずれといった感じがあり、静かで庶民的な場所であった円山公園辺りの風景は、札幌の大都市化にともなって次第に姿を変えていきました。冬季札幌オリンピックの折に地下鉄の駅ができ、その後外国の領事館が建ち、高層マンションが次々と建設されたことによって、辺りの風景はすっかり様変わりしまし、今では札幌市内でも高額地価の高級住宅街になりました。

子供の頃に円山動物園に行き、円山登山や散策をし、少年野球の練習場でもあり、高校野球の応援に通い、学校の体育祭が行われ、小学校の北海道開拓の歴史教科書に登場する、幼少期から十代の頃には庶民的でいつも身近な存在であった円山公園。

時代と共に街の姿は変わっても、ドングリを拾い、セミの抜け殻を集め、野生のエゾリスを近くに見かけ、恒例の花見をし、お祭りの露店が並んでいた、そんな私の心の中の昭和の円山公園辺りの風情は、いつまでも変わることはありません。

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