私の自分史づくりー材料さがし 1

自分史活用アドバイザー 泉正人

円山公園 1

子供の頃には、円山公園というものは札幌にしかないものだと思い込んでいました。実はそれが京都の円山公園にちなんで命名されたものだと知った時には残念にも思ったものでした。明治の初めの頃に札幌の街作りの始まりとして開かれた場所でもあります。
子供の頃の思い出の場所は、と問われると真っ先にこの円山公園のことが思い浮かぶほど、私にとっては馴染みの深い場所です。

公園に隣接する北海道神宮へ新年の初詣に行き、春には梅と桜の名所であり、夏は涼やかな緑と花一杯の風景、秋は紅葉と常緑樹の緑が楽しませてくれます。

背後にある標高226メートルの円山へは公園の中から登山道が続いています。小学校の頃には、学校からずっと歩いてこの円山の頂上を目指すのが遠足のコースでした。そこが近道ということなのか、円山公園に入るために必ず隣地の人気のない古い墓地を通り抜けました。今にして思えば、ご先祖様を敬う気持ちを育てるための教育の意味もあったのかもしれません。でもあの頃はただ怖かったという思い出があります。

怖いと言えばもう一つありました。墓地を抜けてほどなく着いた登山口には、等身大よりも大きい、恐ろしい形相の不動明王像が立っていました。何故こんなところに立っているんだと横目に見ながら足早に通過しました。山道の途中に散在する小さなお地蔵さんの姿さえも、子供心には、いわくありげに見えて怖かったものですが、そんな八十八か所に散在するお地蔵さんにまつわる奇跡の話しがあるなど、本当は市民に愛されている優しい登山道なのです。

四国霊場を模して配置された、小さなお地蔵さんが並ぶ登山道を登り頂上へ着くと、マッチ箱を並べたような札幌の街を眺めることができました。高層マンションの姿がまだ見えなかったころですから、皆でそれぞれの自分達の家を探したものでした。探すための目印は、北海道独自の色とりどりのトタン屋根と壁の色でした。

やがて小学校の高学年になると、隣接する墓地の斜面はスキーの滑走コースとなりました。リフトなど勿論なくて、一歩一歩自分の力で斜面を登ってゆきますが、墓石の間をすり抜ける下りはあっという間の出来事でした。その頃には墓地に対しては怖いというよりは、人の死という別の意味での関心を持っていたようです。

探検と称して薄暗くて人の姿が全く見えない墓地の奥へと入って行ったこともありました。そこで目にしたのは、外国人のものなのか教会関係者のものなのか、整然と並んだ沢山の白い十字架の墓標の様子でした。子供向けのテレビ番組では目にすることはあっても、本物を見るのは初めてのことであり、入ってはいけない場所へ立ち入ってしまったような怖さを感じたことを鮮明に覚えています。

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