他人の自分史は面白くないのか?

自分史活用アドバイザー 札幌市 泉正人

今までに数名の方から、エンディングノート・家族史・自分史製作のご依頼を頂きました。呼び方はそれぞれ違っていても、内容は重複するところが多いものです。

準備された原稿を読ませていただき、昔の写真を拝見し、付随するお話をお聞きしていくうちに、例外なくその方の生きて来られた人生の物語の中に引き込まれてゆきます。

何故なら、その人の人生の過程は、その人に聞かなければ深くは知ることができず、世の中に出ることもないのですから。

「私の人生なんて記録に残したり、誰かに話すようなことはありませんよ」といった言葉をほとんどの方からお聞きします。

でも、心のどこかには、自分の人生を記録として残しておきたいという想いや、自分が経験してきた貴重な体験談を誰かに伝えたいという想いがあるのでしょうと推察致します。

「事実は小説よりも奇なり」……確かにそう思います。小説家が誰か一人の人生のことを想いながら創作したものよりも、その本人自身の口から、それまで経てきた人生について実際に語っていただいたほうが、深い内容のものが完成するように私には感じられます。そこには経験してきた本人の言葉でないと伝わらない感情の重さがあるのだろうと考えます。

「自分史」を作ろうと考えた時に、沢山の人に見てもらいたいという意識が働いた時には、多分、自分の人生の中での成功体験が、まず心の中に浮かんでくるのではないかと思います。見栄えのするものでなければ、読者に対して失礼ではないかという意識も働くのかもしれません。

自分史の中に過去の成功体験を記述したくなることは、当然のことだと思います。でも、読む側にとっては、自分史なのだから、輝かしい成功体験が書かれているに違いないという潜在意識があることも、忘れないほうが良いように思います。

他人の成功体験は、たとえ一言であっても、深く心に残るものではないでしょうか。そう考える時、結果としての成功体験は、報告程度の短い記述にとどめておいて、余り思い出したくない、記憶の底にとどめておきたい出来事や、忘れたいような出来事や想いにこそ光を当てて、表に出してみる。

読んだ人が、書いた人の失敗体験や、挫折経験を自分のものとして共有する時に、読み手と書き手の心がつながる瞬間があるのだろうと思います。

現実の問題として、自分の心の中にある過去の暗い部分と向き合うためには、それなりの覚悟を必要とするのかもしれません。多くの人が、ある程度の年齢に達するまで、なかなか本気で自分史作りに取り組もうとしない理由も、そのあたりにあるのかもしれないと思います。

自分自身の失敗や挫折の体験は、他の人にとっては貴重な人生の参考書になることもあると思います。そういう気持ちで自分の人生を振り返る時には、年齢に関係のない、早い時期からの自分史作りも自然体で出来そうに思います。

思い切って自分史作りを始めてみると、自分自身の生き方を改めて見直す効果があると共に、きっと何らかの新しい発見があることでしょう。

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