ときめきの自分史―遺影写真を撮る愉しみ
スマホの普及で自分の顔を自撮りしたり、オンライン中の表情をスクリーンショットでとらえたりと、私たちはいろいろなところで自分の顔写真を自分で撮るようになってきました。となると、いい表情の写真がたくさんありそうですが、いざ対外的に用いようとすると、画像が今ひとつ鮮明でなかったり、全体としてはいい雰囲気の写真だけれど自分はあまり大きく映ってはいなかったり、と意外に良い写真が見つからないものです。
特に大きく引き伸ばした顔写真が必要となるのが葬儀時の遺影写真ですが、あれほど多くみんなで「はい、ポーズ」と言って写真を撮ったり撮られたりしてきたはずなのに、故人がはっきり写っている写真が一枚もない、ということで家族があたふた。友人の家族や親族から「故人が写っている何かいい写真をお持ちではないですか」と頼まれて、一緒に行った旅行写真をあわてて探した経験のある人もいることでしょう。
写真が今のように誰もが気軽に撮れるものではなかった時代には、みんな盛装をして写真館まで足を運び、家族写真や肖像写真を撮りました。自分史づくりをしていると昭和生まれの方々のアルバムには、そのようにして写真館で撮った姿勢正しく引き締まった表情でこちらを見つめる家族写真や肖像写真があり、そこから先人が誠実に自分の人生と向き合い生きていたことが伝わってくる、ということがよくあります。
今の時代、写真館まで足を運んだりプロに写真を撮ってもらうとすれば七五三か、成人式、そして婚礼の時ぐらいでしょうか。けれどもそのような特別な時だけでなく、アマチュアの自撮り全盛の時代だからこそ、プロのカメラマンに写真を撮ってもらう良さがあるようです。
プロのメークアップアーティストがヘアとメイクをしてくれて、プロのカメラマンが撮影をしてくれる、というので2025年2月パソルーム戸塚教室(https://www.pasoroom.jp/)主催のポートレート撮影会に参加しました。今、私は73歳。節目という年齢でもなければ、これといって大きな利用目的があったわけでもなかったのですが、70歳も過ぎるとそれがいつ「遺影」となってもおかしくありません。そこで、「撮影目的」は「遺影」とし、「故人は人生をめいっぱい楽しんでいましたという感じのものに」と希望を書いて出して撮影日を迎えました。
Photographerの林建次氏(https://officemigi.com/)から、目線はこっち、顔はこっち、手はここに・・・と矢継ぎ早に指示を受け、えーっとか、そんなあ、と言いながら撮ってもらって出来てきた写真。それはたしかに「人生をめいっぱい楽しんでいるよ」というものになっていました。それは自分では決して撮れない写真で、その写真を見ていると少し明るく前向きな気持ちになっている自分がいました。そして、自撮りで自分の写真が撮れる時代だからこそ、プロのカメラマンに自分を引き出してもらい、そこからまた生きる元気をもらって前向きに生きていくということがある、ということに気がつきました。
人生100年時代を生きる私たち令和のシニアは「遺影」を毎年撮って更新していく、それぐらい人生を主体的にアクティブに謳歌する、そこから社会もまた明るく元気になっていくような気がします。