「散歩自分史」のすすめ(後編)
4,意識的に町と関わりを持つ
私は今、東京や神奈川を中心に散歩をすることが増えている。特に、昭和の香りが残る商店街や横丁、路地裏を歩き、古い建物や町並みを見つけてはカメラに収めている。その際に心掛けていることが3つある。
第一に、事前に町の歴史を調べること。たとえば戦後の闇市から発展した商店街であるだとか、かつて赤線地帯があったとか、町の成り立ちにはそうした歴史的背景を垣間見ることが少なくない。散歩中に気になったことは、後からさらに調べなおすこともある。そうすることで訪れた町への理解がぐっと深まるのだ。
第二に、訪れた場所で飲食をすること。できればその土地で長く営んでいそうな食堂に入ってみたり、小さな喫茶店があれば休憩を兼ねてコーヒーを一杯飲んでみる。あるいは私は甘味が好きなので、和菓子店があれば大福や草餅のひとつも買ってみる。そうやって、訪問地との接点を増やしておくと、後になって思い出される出来事が増えるという寸法だ。
第三に、人に話しかける。今の時代、見知らぬ人に無闇やたらと話しかけることは憚られるが、それでもタイミングが合えば声をかける。比較的容易なのは、たとえば和菓子を買った時に店の人と立ち話をすること。商店街の移り変わりの話は、訪問者としては興味深い。「昔は活気があった」とか「今は後継者がいなくて」とか、そういう話はよくあることだけど、そういう会話をしたこと自体が、やはり訪問地との関りを深めてくれる。
以上は、一人散歩でもできる心がけだが、誰かと一緒に歩けばさらに思い出の接点が増えることは言うまでもない。
5,心の散歩自分史
散歩や町歩きを通して自分史を深める散歩自分史には、当然ながら「歩くこと」や「現地へ行くこと」が前提となる。それは間違いないのだが、晩年を迎えた前田さんは体力の低下から外出することが難しくなった。
それでもSNSを通じて、自宅の中から散歩自分史を継続された。まさに心の中の散歩によって、散歩自分史の最終段階を実践して見せたのである。
前田さんのSNSの最後の投稿は2023年9月13日の「散歩自分史(回想篇)」であった。
人生という長い歩みの、最後の投稿。その最後の1文は「自分史が生き甲斐」で締めくくられていた。
6,おわりに
今回、前田さんの遺した「散歩自分史」というアイディアを私なりに補足してみたいと思い、この原稿を書くことにした。しかし、「散歩自分史」の奥行きは、まだまだこんなものではない、ということも感じている。
「散歩自分史」の定義も手法も、その可能性や醍醐味もまだまだ未完成である。これは残された私たちにとって、「散歩自分史」をいかようにでも解釈し、また工夫できる余地が大いにあることを意味している。
前田義寛さんを知っている方もそうでない方も、ぜひ「散歩自分史」を自由に楽しんでもらえたら望外の喜びである。
最後に、Youtube動画のリンクを紹介して終わりにしたい。