実践「散歩自分史」(佐原編)
千葉県に佐原という町がある。水郷の町として有名で、江戸時代には伊能忠敬が商人として過ごした場所としても知られている。
2025年1月、私はこの佐原の町を初めて訪れた。「散歩自分史」の実践である。
「散歩自分史」については、以前(2024年5月)のコラムでも書いたが、自分史編集者である故前田義寛さんが考案し、実践していたものである。この造語は「散歩」と「自分史」を組み合わせたものだが、その定義や解釈は特に確立されてはいない。
しかし単に懐かしい場所を訪れることだけにとどまらず、初めて訪れる地でも「散歩自分史」になり得るのではないか。そんなことを以前のコラムでは触れた。
いずれにしても前田さんの遺した「散歩自分史」という試みを、私なりに体験し、継承していきたいという思いがある。
さて、佐原である。佐原は歴史情緒の残る水郷の町並みや、伊能忠敬記念館、そして日本三大神宮のひとつである香取神宮へも徒歩でアクセスできるなど、観光地としての見どころは豊富である。しかし、散歩自分史は、いわゆる歴史散歩や観光散歩とは一線を画す試みといえる。すなわち私がこの地を訪れることには、観光とは別の個人的な思惑が伴ってのこと。
もったいぶらずに記すならば、自分史の生みの親であり、私にとっては恩師でもある色川大吉先生の生まれ故郷であり、以前から一度は訪れたいと考えていたのがこの佐原の町なのだった。
もともと色川一族は和歌山県の山中に今も現存する色川村という村の名主であったが、水戸藩主徳川光圀の時代にはじまった「大日本史」の編纂に従事するため、水戸へと移り住んだとされている。明治以降、その色川一族の末裔の一部が千葉方面へも南下し、佐原に移り住んだのが色川大吉氏のルーツだったとご本人から伺ったことがある。
2017年、私はそんな色川大吉氏の自分史『わが半生の裏街道』という書籍の企画編集に取り組む機会を得た。色川先生はこれまでにも何冊かご自身の自分史を書籍化してこられたが、この企画は「これまでに語られてこなかった裏ばなし」というところが肝であった。
色川大吉氏が生まれた大正後期、実家は佐原の町で鹿島屋という芸者屋を営んでいた。商才に溢れたのが祖父色川八十八という人物であった。「ヤソハチ」と読むが、まだ幼かった大吉少年は「ハナハチ」と読み違え、「ハナハチじいさん」とあだ名していたそうである。
このヤソハチじいさん、7度も結婚と再婚を繰り返したというから精力旺盛だったことは想像に難くない。しかし一方、そこに住まう若き芸者たちの人生は悲しくも、儚い。様々な理由で若くして命を落とす人も多かったそうである。多感な時期を過ごした大吉少年の自分史は、この佐原とともにあるのだ。
さて、先にも書いたように、佐原の町は歴史情緒溢れる町並みが人気で、外国人観光客や若い人たちも多く訪れる。そんな観光客で賑わう表通りからひとつ細い道に入ったところに、小さなお稲荷さんがある。
その祠を囲む石柱のひとつに「佐原見番 色川八十八」の文字があった。
かつてこの町に色川家があったことを示すささやかな、しかし確かな痕跡が今も静かに息づいていたのである。
縁もゆかりもない佐原という町が、恩師の生まれ故郷という微かな接点によって、私の中にも取り込まれていく。しかしそれは「散歩」という実体験を伴ってはじめて、私自身の歴史になっていくのだ。
前田さんの提唱した「散歩自分史」は、場所という点と点を結びながら、人生という線が描かれていくひとつの着想でもある。今回の散歩自分史によって、私の人生にささやかな「ゆかりの地」がまたひとつコレクションされた。
散歩自分史は過去と現在を結びながら、一方で新たな思い出をつくり出していく営みといえる。それは天国の前田さんからの素敵なプレゼントに思える。
※「散歩自分史」に関する過去のコラムはこちら
紹介した書籍
『わが半生の裏街道-原郷の再考から』(色川大吉/河出書房/2017)