自分史は自分で自分を考える
雨の中、南青山に行った帰り道。表参道の駅前にリアル書店があるのを見かけて入った。すぐ正面に置かれた棚の厚い表紙の本が、私を呼んでいた。
折りたたみ傘を袋に入れて鞄にしまうために濡らしてしまった両手から水気をとろうとハンカチで丁寧にぬぐったあと、私はその本を手に取った。
タイトルよりも、本を裏返したときに現れた、帯に書かれた文字列に目を奪われた。日頃から私が感じてきたことが書かれていた。「文字を書くことで、人間は自分が本当は何を考えているのかを知ることができていたのだとしたら?」私は、文字を書くことで、自分が本当はなにを考えているのかを知ることができていると感じてきた。だからといって、この感覚が真実であるとは言わない。ただこんな妄想を抱くのである。人間が自ら考えて書くことをやめ、書くという行為をAIに丸投げしてしまうようになったとしたら。自分が本当は何を考えているのか気づかぬままにAIが書いてきたことをそのまま、あるいは多少変えて自分の言葉として人の目の前にさらすとしたならば。そのひとは本当の自分を知らず、本当の自分を読者に届けることもできず?
それで社会的成功は一定程度手に入れられたとして、それはそれで一定程度いいことなのかも知れないが。私は、そのことに恐ろしさを感じてきた。
自分史活用推進協議会のビジョンは「自分史で社会を元気に」ですが、実はその前段があります。
「自分史の魅力と活用方法を多くの人たちに伝え、自分史づくりをサポートすることで、自分史をつくって自分を見直し、自己の理解を深め、自分の個性、強みを発揮して自分らしく生きていく人を増やし、(中略)「自分史で社会を元気にする」というビジョンを実現する」(自分史活用アドバイザー認定講座2024年改訂版テキストから)
自分史づくりをサポートすることで、自分を見直し、自己の理解を深め、自分らしく生きていく人を増やし、「自分史で社会を元気にする」とうたっているのです。自分史で自分を見直し、自己の理解を深めることは、元気でいるためには不可欠と言えることでしょう。
自分史は自分で自分を考える。手は使わなくても、紙の形にしなくてもいい。ただ、自分で考える。口で語って聞き書きしてもらっても、写真にしても映像にしてもいい。ただ、自分の全身で考える。アドバイザーはサポートする。AIは活用するものであって、依存するものは自分自身だけ。