自分年表作成と写真整理④-2

一般社団法人自分史活用推進協議会理事 前田浩

~自分史年表が出来上がったら、次は写真整理を楽しみましょう~。

前回コラムにも掲載しましたが、自分史年表が出来上がったら、いよいよ写真整理ですね。先ず人生を振り返る為一つの目安として50枚選ぶとしましょう。例えば選択のガイドラインを挙げると以下の様になります。

写真選択のガイドライン

◆お誕生のころ(ご両親・ご家族と):         3枚程度
◆小学校、中学校、高校、大学生時代:       5枚程度
◆お仕事や趣味の会、自治会など:              5枚程度
◆ご結婚、新婚旅行など:                  4枚程度
◆お子様のお誕生、七五三など:             4枚程度
◆お仕事での成果や想いでなど:               5枚程度
◆ご趣味、ご旅行、ペットなど:        6枚程度
◆ご先祖様関係:                      4枚程度
◆ご家族・ご親族集合写真:       5枚程度

このガイドラインは見本であり、一つの目安です。人の一生は誰一人同じものは有りませんので、あなたなりに調整してください。それぞれの写真に、当時のエピソードやコメントを書き出してみてください。

いつ、どなたと一緒に(ご本人がどなたか)、何をなさっているお写真(記念撮影など)か、コメントしてみてください。どういう子ども時代であった、父はしつけに厳しかった、というエピソードも貴重な情報となります。

例えば「自分とは何者か」振り返ってみませんか?
どんな幼少期を過ごしたのか、写真を見ながらその頃を思い出してみました。
僕に大きく影響を与えたのは母方のおばあちゃんでした。
個人情報満載ですが、自分回帰を目的に小学校入学の頃の一枚の写真から回想してみます。

「浜松市立葵が丘小学校入学」1970年(昭和45年)

母の実家は写真館でした。その写場で母の兄が撮ってくれた写真です。この頃、母親から多くの愛情を注がれ大切に育てられたと思います。母親の言う事が全てで、何も疑問もなく、素直に真っ直ぐ成長しました。

ただ一つ、母から目標を与えられました。それは目指す高校でした。邦夫伯父も隆司叔父も行った学校(地元では一中と言われていました)でその学校に進学することが言わば使命でした。その為に「小学校1年生からクラスで1番をとりなさい」と言われ何の疑いもなく、しっかり勉強しました。

更に「学級委員長には立候補しなさい」「鼓笛隊には立候補しなさい」「成績表に記載されること(評価の対象になる事)は何でも進んでやりなさい」…と。その言葉に、何の疑いもなく従いました。

そんなある日、父母の間に中学受験の論争が興りました。
地元中学に行けば一中に進学できるのは1桁程、進学校に進めば50人ほどが一中に進学できます。進学校は国立の附属の為学費は掛からないが歩いては行けないので交通費は掛かります。母親は進学校を強く希望し、僕はそれに従いました。そこは親戚で受験してもまだ誰も合格していない学校でした。僕はおだてられ、特別待遇に誇らしい気持ちで進学校を目指しまた。
勿論、家族一丸となり皆の協力のもと家族の一大イベントとなりました。
実はそれには、母の母(お祖母ちゃん)の影響が有りました。お祖母ちゃんは日頃から良く僕に生い立ちや、人生に必要な事を自分の事例を基に教えてくれました。その一つが学問でした。
お祖母ちゃんは進学校に進むことを、そっと応援してくれました。