自分年表作成と写真整理④-9
~自分史年表が出来上がったら、次は写真整理を楽しみましょう~。
例えば「自分とは何者か」振り返ってみませんか?
ただ時系列に経歴を羅列するだけでなく、
何故そうしたのか?どんなご縁だったのか?それからどんなふうにお付き合いをしたのか?どんな展開になって、誰を喜ばせたのか?
お世話になった方とのエピソードを特に子供たちには遺しておきたい。
個人情報満載ですが、今回は僕の人生の前半の最後の出来事の一枚の写真から回想してみます。
因みにわたしは、アルバムから自分や家族のものがたりを語る写真を40数枚選んでみました。これからの作業が楽しみです。今回も取材ロボットに話しかけてテキスト化したものを編集致しました。少し話し言葉になっています。
私の地元に毎月一度、地域を元気にしたいと、講演会を開催しているPH会というが有ります。私も事務局的にお手伝いしています。
今月は曾許乃御立神社の野中宮司さんが講話を行いました。
その際、とても良い気づきを頂きましたので共有させて頂きます。困った時にどの様に対処するのか、何を拠り所にするのか、一段落した際にどうするのか、その後何を忘れないで続けるのか?母の行いから参考にしたいと思いました。
『曽許乃御立(そこのみたち)神社』
1300年近くの歴史があり、今も地元では「鹿島さま」の愛称で親しまれています。
『曽許乃御立』と言う社名は、『曽』の字には「かつて、これまで」の意味があり、「御祭神の御神徳に触れ、これまでのことを許し新たな旅立ちとする」という御神意より名付けられたそうです。(御由緒状より)
10年程前、自分史の仕事をはじめて最初頃、応援して頂いた商工会議所の元専務理事さんや自動車関連で特許を取られた社長さんがお鹿島さまの事を語られ自分史に記載しました。
講演会の中で、そう言えば私も神さまのご加護を頂いたと、昔の話を思い出しました。
わたしが小学校4年の夏、誤って昆虫採取の注射器を左足の膝関節に刺してしまいました。
そうしたら、足がどんどん膨らんで倍以上になって、近くの外科医院では対応出来ずに総合病院に移りました。入院は3ヶ月になりましたが、原因が解明できず、腫れは引かないし、もう普通に歩くことも走ることも出来ないかも知れない、と思われました。
当初から、母は祖母に相談して近くの神社でお百度参り始めました。
そして更に一生に一度だけ願いを叶えてくれる神さまかいらっしゃると聞き、母の一生の一度の願いを僕の足の完治として、願掛けする事としたようです。どちらも後で聞いた話です。
病院の先生方のご尽力、家族の応援、更には神さまのご加護を頂き、僕の足は回復に向かいました。その後ギブスを外した後は、必死のリハビリで学年が変わる頃には僕の左足は元の状態に戻りました。そして無事に中学校に進み、写真の観音山少年の家にも元気に参加する事が出来ました。
そして、家族揃って御礼参りの日が来ました。
それからも母は、今まで以上に神さまを大事にして毎朝、神棚に手を合わせていました。
その母は5年前に82歳で亡くなりました。母は前述の通り神さまをとても大切にしていました。神さまに対する真っ直ぐな行動は、最後まで子供の私から見ても背筋の伸びるものでした。
母の行動を思い出し、わたしもこれを機に神さまと関わりを大切にしていきたいと思いました。