自分年表作成と写真整理④-5

一般社団法人自分史活用推進協議会理事 前田浩

~自分史年表が出来上がったら、次は写真整理を楽しみましょう~。

前回コラムにも掲載しましたが、自分史年表が出来上がったら、いよいよ写真整理ですね。先ず人生を振り返る為一つの目安として50枚選ぶとしましょう。
人の一生は誰一人同じものは有りませんので、あなたなりに調整してください。それぞれの写真に、当時のエピソードやコメントを書き出してみてください。

いつ、どなたと一緒に(ご本人がどなたか)、何をなさっているお写真(記念撮影など)か、コメントしてみてください。どういう子ども時代であった、父はしつけに厳しかった、というエピソードも貴重な情報となります。

例えば「自分とは何者か」振り返ってみませんか?
ただ時系列に経歴を羅列するだけでなく、
何故そうしたのか?どんなご縁だったのか?それからどんなふうにお付き合いをしたのか?どんな展開になって、誰を喜ばせたのか?
お世話になった方とのエピソードを遺しておきたい。
個人情報満載ですが、自分回帰を目的に高校生時代の出来事の一枚の写真から回想してみます。

高校時代の放課後(中央帽子をかぶっているのが私)

地元浜松市の公立高校受験に失敗した私は、15歳で親元を離れて静岡市の私立の高校に通うために寮生活をはじめました。中学までは親の言われるままに生活をしていたので、親元を離れることは不安がいっぱいでした。その一方自由な生活も魅力でした。
実際の寮生活はとても厳しい規律の中で、勉強する時間が最大限用意されとても良い環境でした。朝は起床時直ぐに点呼が有り、食堂で毎朝英語による格言の朗読を交代で行ったり、生徒の親が一人毎日交代で泊りに来たりしました。帰省日は2週間に一度で、すぐにホームシックになりました。お陰で今までの生活が恵まれていたことを痛感しました。

そんな中で、牧野賢一校長先生はいつも寮生と一緒に生活していて生徒を全て理解されていました。夜は食事の後に夜間授業もあり、更にそのあと自習時間がありましたが、校長先生が毎日全室を周られ声をかけていました。「一念貫徹」「信念に徹した教育に不可能はない」といつも言っておられました。お陰で私もやってやってやり抜けば夢は叶うと信じることが出来ました。先ず自分が出来ると信じる事です。夏休みも夏期講習をやって頂き休みは1週間程度でした。
こんなに素晴らしい環境で熱心な校長先生が応援してくれるなら東京大学だって受かるかもしれない。そんな気持ちにさせてくれました。

頭は丸坊主で青春を謳歌することは出来ないけれど、晴れて目標の大学に合格出来たらその時は青春を謳歌したいと大学生活を夢見て頑張れました。受験シーズンになれば黒板に先輩寮生の大学合格発表が毎日掲示され、一緒に生活している先輩が出来るのだから同じ寮で学んでいるのだから、自分も出来ると思えました。写真はそんな合格を夢見る高3の放課後です。あまり不安はなく、明るい高校時代でした。そして私も第一希望に現役で合格することが出来ました。この成功体験は、目標を立てて頑張れば夢は叶うという確信が出来、その後の私にとって大きな自信となりました。逆を言えば、自分が真剣にやらなければ、目標を持たなければ、成功体験は得ることはないのですね。又、更に言えば高校受験に失敗していなかったらこの体験は出来なかった。昔、おばあちゃんが言っていた話を思い出した。「浩、若い時の苦労は買ってでもしろ。若い時はいくらでも失敗できる。若ければ皆応援してくれる。そしてその失敗経験から、もがき苦しみ結果として次の成功体験が生まれるのだから。」

「同じ釜のめしを食う」ということわざがあります。まさにこの3年間の寮生活は、大学受験という同じ目標を持ちみんなで応援し合う中で、苦楽を共にすることで親しい間柄となり、絆を形成する素晴らしい期間でした。今でも寮の仲間に合えばあの頃と同じ気持ちになれます。私の一番の財産です。