自分年表作成と写真整理④-4

一般社団法人自分史活用推進協議会理事 前田浩

~自分史年表が出来上がったら、次は写真整理を楽しみましょう~。

前回コラムにも掲載しましたが、自分史年表が出来上がったら、いよいよ写真整理ですね。先ず人生を振り返る為一つの目安として50枚選ぶとしましょう。
人の一生は誰一人同じものは有りませんので、あなたなりに調整してください。それぞれの写真に、当時のエピソードやコメントを書き出してみてください。

いつ、どなたと一緒に(ご本人がどなたか)、何をなさっているお写真(記念撮影など)か、コメントしてみてください。どういう子ども時代であった、父はしつけに厳しかった、というエピソードも貴重な情報となります。

例えば「自分とは何者か」振り返ってみませんか?
ただ時系列に経歴を羅列するだけでなく、
何故そうしたのか?どんなご縁だったのか?それからどんなふうにお付き合いをしたのか?どんな展開になって、誰を喜ばせたのか?
お世話になった方とのエピソードを遺しておきたい。
個人情報満載ですが、自分回帰を目的に中学生時代の出来事の一枚の写真から回想してみます。

中学入学式前の日曜日

僕の母親の父は写真館を経営していましたが、母が小学校の時に亡くなりました。
それからは母親の兄が父親の代わりとして家族を養ったと聞いています。その伯父さんが写真を撮影に我が家に来てくれました。応接間で少し緊張した様子で写っています。
この写真をみると、家族で、このソファーを家具屋に買いに行った事や、家を新築するときに一緒に壁紙を決めた事などが思い出される。

僕の中学時代は、バス通学でした。中学校は小学5年生から通った塾の近くで道中は慣れてはいましたが、朝の通勤通学のバスはラッシュ時“ぎゅうぎゅう”詰め状態でした。

入学してすぐに生徒総会がありました。そこで剣道部の廃止の決議がありました。賛成や反対に挙手をするように求められ、生徒会のシステムも何もわからないままに、反対に挙手しました。何故かというと僕は小学校から剣道をしていて、中学で部活動を剣道部と決めていたからです。ここで発言を求められ素直に思ったまま発言しました。そのことで色々と大変なことになりました。採決で生徒会の議題は剣道部廃案が反対され否決。ここで教師が飛び出て来て、これでは生徒会が総辞職になってしまい今まで積み上げたものがゼロになってしまう。一人の意見や願いは理解するが、全体を考え決めた廃部ですから、もう一度採決して欲しいと言い出し、再度採決が行われ剣道部廃部が決まった。

それからが大変だった。先ず、三年生のグループに呼び出され「どこの小学校から来たんだ。生意気だ。」と囲まれた。僕は何のことか良くわからなかった。この学校は小学校から2クラス、受験で入学が1クラスで僕は受験で入学した。どうも小学校からのエスカレーターの生徒の方が優勢で、更に兄弟がこの学校に居たり、親同士仲がいいとか、習い事で一緒とか色々な繋がりが大事なようだった。

しかし僕はあまりこの状況が理解できないまま普通に過ごした。ただ目立ったことはしない方がいいと何となく感じた。1年生で受験組の友達が出来て家に遊びに着たりもした。その子が転校してしまうと、2年になり小学校からエスカレーターの子とも仲良くなって、映画「宇宙戦艦ヤマト」に誘われた。彼は姉が同じ学校に在籍していて色々教えてくれた。富士登山の時は山小屋で就寝時間に起こされた。彼は「外行こう。」と誘ってくれた。「そしたらこれ飲め、温かくなるぞ。」とコップに何か液体を入れて差し出した。僕は日頃、母親から「人から食べ物、飲み物、贈り物を貰ってはいけない。」と育てられた。また父親から「友達を大切にしろ。」とも言われていた。ここでは、彼の誘いを好意と判断して受けた。彼は「絶対に人に言わないように。」と言った。身体はとても温かくなり彼の言う通りだった。しかしその液体の正体は「梅酒」だった。幸い今までばれていない。

それから3年の夏休みに夏期講座がある予備校で有り参加した。そこでそれから今でも仲の良い友達に巡り合った。彼も姉が同じ学校に在籍していて色々教えてくれた。自転車を二人乗りして坂を下り、モスバーガーに連れて行ってくれた。勿論このような店もハンバーガーも初めてでドキドキでした。それから直ぐに映画「未知との遭遇」に誘われた。彼の父親にも家まで車で送って頂き急速に仲良くなった。
そして高校でまた素晴らしい出会いがあるのですが、この件は次回にします。

振り返ってみれば、中学のこの3つの体験がぼくの人生において重要な意味を持ったのだと今は思える。先ずは中学生ともなれば、発言は自分の個人的な見解だけでなく全体のバランスも加味しなくてはならない。それから友達との交流も経験により段々と覚えていく。つまり経験とその体験から得た情報を、例えその時は失敗したとしても、次の機会に活かすのだ。だから僕たちは無駄なことを何一つしてきていない。ある尊敬する方が言っていた。「何かが一つ違っていても今の自分は居ない。だから今までの全の出来事は最高の出来事である。」