若手自分史活用アドバイザー奮闘記【門倉アドバイザー 自分史活用アドバイザーとしての役割】

若手自分史活用アドバイザーの門倉栄アドバイザーが自らの経験から語るブログです。自分史活用アドバイザーも日々お客様と接する中で成長しています。

【自分史活用アドバイザーとしての役割】

前回、叔父の自分史作成についてお伝えし、実際に自分史作成する難しさ、人の過去を振り返る難しさを痛感したお話をお伝えさせていただきました。今回は、叔父の自分史を作成する際、私との聞き書きを通し、叔父自身が新たな発見や気づきから今後の人生を更に楽しく生きていこうという意識に繋がったお話をお伝えできればと思います。

叔父の過去を振り返り、89年間という長い年月を一緒に振り返っていきました。89年間生きてきた中で、叔父自身にとって一番印象深かったのは、やはり戦争でした。叔父は、厳しい戦争体験を経て、「あの大変な戦争があったからこそ今の自分自身が存在している。」とまで仰っていました。

また、叔父の願いは、「今年で太平洋戦争が70年となり、戦争を経験している人が減ってきている。今後、戦争があったときの厳しさや貧しさ、終戦後の再復興へ向けた日本の生命力は持ち続けなければいけない。だからこそ、戦争の体験談を残し、少しでも今後の日本に貢献したい」とのことでした。

そして、日本国内を旅行するのが大好きだそうです。47都道府県全て行くほど旅行が楽しい。そこで、私は「なぜ、旅行が好きなのか?」と問いました。そこで、叔父はなぜ旅行が好きなのか分からないという返事でした。私は、戦争と旅行、何かリンクするものがあるのではないかと思い、質問を続けました。このように、深くまで掘り下げていくと、ある一つの共通点が見えてきました。

特に、叔父が若いときに旅行へ行っている地域は、過去に戦争があった広島や長崎といった地方への参加をしていました。このような結果から、「戦争と深く関連がある地域を訪れたい」という願望が強いのではないかと感じます。

叔父自身も同じように過去に戦争を経験していることから、日本中を周り、戦争を経験している人や地方、戦争後から残った財産などに触れ、「地域ごとに起きた出来事(思いなど)を理解したい」という願望があったからこそ、日本全国を旅行することが趣味として、成り立ったのではないか?とたずねました。すると、戦争を経て、日本という危険な国から安全で素晴らしい国と発展していった日本を愛している。という気づきを一緒に得ていきました。だから、叔父は旅行が好きであり、趣味に繋がっているということが判明しました。

戦争の経験から趣味が旅行になっており、戦争と旅行が繋がっていることは本人は全く気づいていませんでした。人は日々、無意識に選択、行動を起こしており、なんとなく人生を過ごしていることが多いです。

そこで、私を通し、「無意識な思考からその人自身に気づきや発見を与えること」が私にとってやりがいである、私と一緒に過ごしてくれた時間をとても大切に感じてもらい、その方の有意義な時間だったと感じてもらえることが、私にとって存在すべき本当の価値がそこにあるのだなと気づきました。

今まで自分史とは、「生きてきた証を残すものである」と捉えていました。
しかし、この経験を経て感じたことは、

・お客様の過去を親身になって振り返り、一緒に共有し合うこと。
・私というフィルターを通し、相手に気づきや発見を得てもらえること。

などから、その人のやりたいことや将来像を導いてあげることが自分史活用アドバイザーの役割の一つなのではではないかと感じました。もちろん、製本にしてお客様の生きた証が見える形で手元に残ることが最終結果ですが、相手を気づかせてあげる役割も自分史活用アドバイザーとして意味を成すのではないかと思いました。

私は、「お客様の話をどう上手く聴き、生きた証を製本にできるか」を中心に考えていました。しかし、全く捉え方を変えると、「私と一緒に過ごした時間を価値あるものに感じてもらえるか」を常に考えることが付加価値を生み出すもとに繋がってくるのではないかと思います。

次回は、叔父の自分史が製本として完成し、手元に届いたときのお話を私の観点からお伝えします。

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