旅、「花鳥風虫」

自分史活用アドバイザー 富永 吉昭

 40年以上昔のことである。
 祖母が死んだ翌年、初めてその寺を訪れた。
 吹きそよぐ風は午前9時過ぎの境内のいくつかの植え込みの陰から集まってくるようだ。
 姿は見えないが小鳥のさえずる声も転がるように満天から降ってくる。
 M県にあるその寺に生前の祖母を連れて行ってやれなかったことが悔やまれた。
 生きていれば92歳になる祖母の誕生日に意を決して寺に向かった。
 JR線の窓から望む海岸線、沿線に揺れる樹林の連なり。電車はひたすら走る。祖母の故郷に向かって。
 私の隣には、ようやく念願叶った笑顔の祖母がいるはずだ。
 「待たせたな。ばあちゃん」声をかけて、慌てて私は座席の通路側に移った。
 今回の旅を含め2回目の祖母との2人旅だった。
 1回目は私が小2の夏休みだった。下車した駅から山間部に向けて歩いた。山道は狭く歩きづらかったが知らない道を歩くのは楽しかった。歩き疲れたころ、ちらほら人家の塀が見えてきて、川が家の真横を流れている。川水に新鮮なかぐわしい柔らかい匂いが立ち込めている。
 一軒の家に祖母は私を連れて入り、家の人と一言、二言話をして私に外で遊んでいてと促した。家の横を流れる川に足をつけた。水の香りが立ち上った。その家の私と同じくらいの男の子が出てきてその子も川に入り、一緒に遊んだ。
 川に入ると家の中が見えた。その家の人々の中に祖母がいた。
 祖母は疲れた表情で眉間にしわを寄せて、しかし懸命に話していた。
 その時、一緒にいた男の子が話しかけてきたのでそっちを向き、その後は見なかった。
 今思うと、人望家ではあったが商売の才覚に大して恵まれていなかった祖父の借金のお願いだったのかもしれない。金策がうまくいったのかどうかはわからない。
 「ばあちゃんの家の前の川はきれいやな」
 帰りがけにそう言うと祖母はにこりとして頷いた。めったに笑わない祖母の笑顔がいつもの祖母と違う他所の人のように見えた。
 帰路、山道を駅に向かって急ぎ足で歩いた。祖母は後を振り向かず、しっかりと実家に背を向けて前を向いてひたすら歩いていた。育て上げてやらなくてはならない私を連れて懸命に歩いてくれた。後ろを決して振り向かず。
 それ以来、祖母は実家に帰ることはなかった。
 2回目は祖母亡き後、祖母の幼少時、よく遊んだとかねてから聞いていたこのお寺への旅だ。
 広い境内の全体が見渡せる一角の、樹木の枝に、祖母が生前使っていた数珠を掛けた。
 長い年月、ただ苦労するためにだけ嫁いでいったような人だった。私が2歳の時離婚し、小5で逝去した父に代わり私を育て上げてくれた祖母への私なりの感謝の気持ちを表したかった。
 祖母には数珠を捧げたこのお寺の境内で楽しく夢に満ち溢れていた幼少の時代に戻ってまた元気に遊んでもらいたい。
 境内で一緒に遊んでいた先に逝った友もいるかもしれない。きっと枝に掛かった数珠の下に集まって来て、昔のようににぎやかになるはずだ。
 小鳥の声も相変わらず、境内に降りかかるように切れ目なく響いてくる。長い時が過ぎ再会した友人たちとの花やぐ声が飛び交っていた。
 JR線で帰路を辿った。沿線の鬱蒼とした森林の連なりを眺めていた。車窓に流れる樹林に枝葉が生い茂っていたが、無性にその枝葉の裏に息づく虫のことが思われた。この感覚は随分昔から身についていたものである。
 当時の私は、祖母亡き後は一人で生きていかねばならない寂しさと覚悟を虫に寄せていたのかもしれない。
 重なる樹林の葉叢の裏にひっそりと息づく虫に過ぎない自分でも、数珠を捧げたあの樹木から友の小鳥たちと飛び立った祖母のように、自分もこの葉裏から飛び出し、自分の旅を始めようと強く思った。