【シネマで振り返り 68】穏やかな時の流れを感じる心地よいひと時 …… 「珈琲時光」

自分史活用アドバイザー 桑島まさき

2004年9月公開の「珈琲時光」は、台湾のホウ・シャオシェン監督が日本の偉大なる映画監督である小津安二郎へのオマージュとして、製作スタッフは台湾、キャストは日本人、舞台を日本にすえて製作した現代版「東京物語」だ。
「珈琲時光」…コーヒーを味わうひととき。気分転換し、気持ちをリセットして自分の人生に立ち向かうことができるような短いけれど貴重で濃密な時間。いい言葉だ。「コーヒーブレイク」なんて言葉はサラリと読めるコラムで使用されていることが多いが、同じような意味であっても「珈琲時光」となるともっと奥深い意味が秘められているように感じる。

特別な事件が起こる訳ではない。主人公のさりげない日常を丁寧に積み重ね、ポツポツとした短いセリフでもって「家族」を描いてきた小津の作風は、本作でもしっかり継承されている。
フリーライターの陽子(一青窈)は台湾から帰国したばかり。陽子の住む鬼子母神のアパートは若い女性が好んで住みたがるような洒落た今風な作りではない。広くはなく天井は低く、昔風の作りで卓袱台が中央に置いてあり、窓をあけると隣家がどんと前に現出する。陽子は時々、神保町の古本屋にいく。ここの店主の肇(浅野忠信)と仲良し(肇が陽子を好いている)だ。近くには仲良しの誠治(萩原聖人)がいる天ぷら屋「いもや」があり、行きつけの喫茶店は西神田にある。仕事柄、取材であちこちに行くが、彼女の生活圏は時代の先端をいく華やいだ場所ではなく、どこかレトロ感を漂わせた時代の匂いをプンプン漂わせる東京の下町だ。

実は、陽子は気がかりな問題を抱えている。台湾にいる時に現地の男の子どもを妊娠してしまい、結婚はしないがシングルマザーになろうと決意している。自分の意志は固いのだがそれを告白することで両親や周囲の人たちがどんな反応をするかが気になっているのだ。
法事で実家の高崎に帰った時、彼女はさりげなく両親に告白する。夜中にお腹がすいてご飯を食べる陽子は後姿のまま、義母(余貴美子)にポツリと話す。陽子の顔はみえない。娘の告白を聞いて動揺しているが平静をつくろって心配そうに娘を見守る義母の横顔が映し出される構図は、いかにも小津贔屓のホウらしい演出だ。
同様に、陽子に想いを寄せる肇の行動もそうだ。待ち合わせをして出かけた日、急に具合が悪くなった陽子を介抱する肇。陽子は何食わぬ顔で「妊娠しているから」と言う。肇はショックをうけながらも「妊娠しているんだ?」と問い返すしかできない。大切な人の大事に遭遇した時、なかなか人は気の効いた言葉をかけられないものだ。気持ちほどには。言葉が足りないかわりに男は具合を悪くして寝込んでいる陽子を訪ねてきてかいがいしく世話をする。憂鬱な気分の上に体調もすぐれない。それを解きほぐしてくれる男の存在……。友人以上恋人未満の関係なのに、家族の一人のような安らぎを与えてくれる男に陽子はほのぼのとした感情を抱く。小津映画に出てくる人たちが皆そうであったように。
陽子の両親(父親は小林稔侍)もすごく娘の身を案じながらも、叱責したり説教したりはしない。ただ、じっと愛する者を気遣い見守るだけなのだ。

見ていてもどかしくなるような距離のとりかた。両親も肇ももっと陽子に近づきたいが相手を尊重し気遣う気持ちが強いためにそれができない。しかし、彼らのその「静かに見守る」姿勢は、とても好感がもてる。理想の家族の在り方であり、理想の恋人との距離の取り方のように思える。
東京の町を縦横無尽に駆け抜ける電車は、容易に人を目的地へ届けることができるが、乗るべき電車を間違えるととんでもない場所へたどり着いてしまう。陽子は今どこへ向かおうとしているのか? 電車の中で居眠りしてしまった陽子が目覚めると、そこに肇の顔を見た時のほのぼのとした彼女の安らぎに満ちた顔が印象的だ。

※「珈琲時光」(2004年9月11日 日本公開)
珈琲時光 : 作品情報 – 映画.com

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