【シネマで振り返り 57】病と闘いながら我が子を育てる母の無償の愛 …… 「ダンサー・イン・ザ・ダーク」

自分史活用アドバイザー 桑島まさき

2000年12月に日本公開されたデンマーク映画「ダンサー・イン・ザ・ダーク」は、愛に殉ずるヒロインを描くラース・フォン・トリアー監督の「黄金の心3部作」のひとつである。
ヒロインのセルマはチェコからの移民で、アメリカの片田舎でトレーラーを借りて生活し、昼間は工場で働き、夜は様々な内職をしながら一人息子のジーンを育てている。
知能に問題はないが、遺伝性の病気のため失明の危機に晒されている。それを承知で産んだ息子にもいつか自分と同じ運命が待ち受けている。産んだ者の責任として、なんとか我が子が視力を失う前に手術を受けさせなくてはいけない。そのためには高額な手術費を用意したい……。シングルマザーの過度の労働はその重責の上に成り立っている。1円でも貯蓄にあて自分は無理でも息子の将来のために無償の愛情を注いでいるのである。
セルマを演じたアイスランドの歌姫ビョークの謳う「I’ve seen it all」はそんな彼女の揺るぎない信念と愛情が感じられ痛切に胸に染みる。
へこたれそうになってもこの「ヒミツ」は決して人に明かさない。過酷な労働と迫り来る不運を前にしても、息子の将来を思う喜びがある限り、セルマは不幸とは思わない。

遺伝性の病という避けられない現実を生きるセルマは、苦しい時や辛い時は、イマジネーションの世界にのめりこむ。そこでは、彼女は人生の主役だ。工場の機械がたてるリズムカルな音、人のささやき声、足音など、どれをとっても想像の世界は厳しい現実とは違う美しい世界のように思える。
現実逃避の手段などではない。ささやかな喜びを味わうためのポジティブな手段なのだ。その喜びの瞬間や輝きがあるからこそ、彼女は今日を生き、明日を迎えることができるのだ。重圧や緊張に耐えられないために酒や異性や死へと逃避するなど考えも及ばないのだ。

セルマは善良かつ無垢な人間だ。この世に悪意が存在することすらしらない。人を騙したり、策略を弄したり、打算とは無縁の人間である。だから、周囲の人間は、そんな彼女の素直さを受け入れ、援助の手を惜しまない。工場の年長の同僚であるキャシー(カトリーヌ・ドヌーブ)、トレーラーを貸してくれる大家のビル(デビット・モース)とその妻リンダ、密かにセルマに想いを寄せるジェフ(ピーター・ストーメア)など。自分たちによくしてくれる彼らの恩を、セルマは決して忘れない。
そんな彼女の友情を裏切ったのは、悲しいことに、友人である大家のビルだ。それから、彼女の「悲劇」は「重悲劇」へと形を変える。これでもか~といわんばかりに。
しかし、トリアー監督はヒロインの悲劇をセンチメンタルに描こうとはしていない。勿論、セルマ自身も。彼女はこの世で起こることはすべて快く受け入れるのだ。幸も不幸も。罪を犯す人間にも公正な視点を向けることを忘れない。それだけにその公正さは、観る者の心を深く揺さぶる効果を高め、クライマックスに至っては感動の極みである。

ミュージカル・シーンとドキュメンタリー・シーンの融合、ドラマチックなストーリー、愛に殉ずるヒロインの高潔な精神世界、ヒロインを演じたビョークの音楽家としての力量とヒロイン像が見事に一致した文句ナシの作品である。強いて不満をあげれば、物語の設定とされている60年代のアメリカという時代の匂いが感じられなかった点であろう。(ロケはスウェーデンで行われている)これはしかし、トリアー監督の極度のフライト恐怖症からくるものだからガマンするとしよう。

※ 「ダンサー・イン・ザ・ダーク」(2000年12月23日 公開)
ダンサー・イン・ザ・ダーク : 作品情報 – 映画.com

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


*