【シネマで振り返り 56】連綿と繰り返される因果を巡る古典的なストーリー …… 「氷海の伝説」

自分史活用アドバイザー 桑島まさき

私たちが「エスキモー」に対して持つ知見は、極寒のカナダやシベリアなどのツンドラ地帯に住む先住民で、アザラシやセイウチなどを狩猟しナマ肉を食べる人種ではないだろうか。しかし「エスキモー」というのは政府の公称であり、一部の民は「人間達」を意味する「イヌイット」を自称している。
2003年6月に日本公開された「氷海の伝説」は、イヌイットの生活スタイルや風習を具体的に知ることのできる世界初のイヌイット映画だ。

地域差はあるもののイヌイットの生活圏は夏が4カ月ほどしかなく、この期間は雪も氷もないが、残りの季節は氷雪の世界である。平均気温はマイナス25度。登場人物が雪原を歩くミシミシという音がする。子どもたちの鼻水は凍っている。”寒い”なんていう言葉では済まされない厳寒の地だ。
同じような格好をした男たちが次々に画面に登場し、風貌も似ているし言語は不明瞭、名前も聞き取りにくいため最初は少し混乱するかもしれない。皆いかにも善良で“いいヤツ”そ~な人間ばかりだ。都会の熾烈な競争社会で生きていないせいかのびのびと育つのだろう。
厳しい自然と共生する民だからこそ、先祖代々の知恵や伝統をしっかり守り、超自然的存在を畏怖し崇める風習が語り継がれるのは当然といえば当然だ。

ちなみに2003年は、SARS(重症急性呼吸器症候群)という原因不明の肺炎が、中国広東省や香港を中心に発生し、瞬く間に世界規模で感染が広がり、7月に収束するまでに患者数は世界32カ国で8千人を超え、7百人超の死者がでた。
隔絶された地の利点として、外界から多種多様なウイルスが入ってくることはあまりないという点だろうか。しかし、だ。古来、人間たちの苦しみや争いの元凶となってきた妬み・嫉み・僻みなどが心のウイルスとなって、共同体の秩序を乱したらどうなるだろうか……。
シェークスピアの悲劇を想起させるような連綿と繰り返される愛憎うごめく因果を巡る古典的なストーリーは、厳しい自然のみを戦いの対象としてきた民にとって、復讐や殺人などの横行する規律のない社会の混沌や人々の不安を浮き彫りにする。イヌイットに代々伝承されてきたアタナグユアト(足の速い人)の伝説や呪術などを加味した寓話性といい、壮大で生命感溢れる感動的な作品だ。

生き延びるために”素っ裸”で氷原を走り続けるアタナグユアトの勇姿は本作を通して全世界に語り継がれるべきだろう。戦争のない時代にも、人が人を無秩序に殺し合う時代があった。抗争の火種となるのは、いつも、人間の負の感情によるものだ。

※ 「氷海の伝説」(2003年6月28日 公開)
氷海の伝説 : 作品情報 – 映画.com

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


*