【シネマで振り返り 54】時を超えて許しあう人間の大らかな精神性 …… 「チベットの女 イシの生涯」

自分史活用アドバイザー 桑島まさき

2003年1月に日本公開された「チベットの女 イシの生涯」は得も言われぬ景観美に溢れた贅沢な観光映画だ。有名なダライ・ラマが登場したり、チベット層がサッカーボールを蹴ったりする映画は観たことがあるが、チベットを舞台にしたキャストもスタッフもオールチベット人という正真正銘のチベット映画は初めてだったためとても印象に残っている。
娘時代のイシが湖で水浴びするシーンは「トルコ石の湖」の異名をもつヤムドク湖で、真っ青な空の下、透けるようなコバルトブルーの水面は穏やかな神秘性を湛え、なだらかな稜線を描く山々に囲まれた景観は圧巻。イシの生活空間に存在する宗教美術の数々も見逃せない。
さらに、イシが夫のギャツォを助けにカムへ向こう道中の景観は筆舌に尽くし難い美しさだ。草原を越え、岩ばかりの土地を越え、峻厳な雪山を越えていくシーン。標高4700メートルに及ぶ高きに達し、彼女の背後にはむくむくと白い雲が迫っている……。チベット美のすべてを収めたと言っても過言ではない自然が作り上げた美がここにはある。

激動の時代のチベット。階級制度がはっきりした、女が生き辛さを覚えた時代、農奴の娘イシが辿った愛の物語を壮大なチベットの自然を背景に描いていく。イシは、現在はもう連れ合いと共に年老いている。そんな彼女のもとに北京で暮らす娘夫婦の娘、つまり孫娘がこの地を訪れる。愛に傷ついた孫娘は祖母に癒しを求め、祖母は自らの愛の歴史を孫娘に語って聞かせる。現在と過去が交錯する定番の女たちの愛の歴史だ。

イシは貧農の出自だ。しかしとびきり歌がうまく美貌の持ち主だったために、その人生は平凡な人生とはならなかった。それが良いか悪いかは別として。厳しい階級制度の下では、身分は絶対的であり、女は男に”選ばれる”ことが貴重な意味を持っていた。荘園の若旦那クンサンの寵愛を受けるということは”名誉ある出世”であり、彼女にとっても嫌な男ではなかったので、求愛に応えた。しかし、通りがかりのカムの男がイシにひと目惚れし、力づくで彼女を略奪してしまう。

憎むべきレイプではあるが、水浴びするイシを見つめる流れ者・ギャツォが彼女を馬で略奪するシーンは映画的魅力のひとつと言える。クンサンの屋敷に奉公にあがった日、待ち伏せしてイシを馬でむんずとかっさらっていき、広壮とした黄色い花畑の中で迫る。事が終わったあとに、「腹が減った。肉をもってきてくれ」とすでに亭主面して女に命令する。イシは言われるとおりにギャツォに肉を渡す。男はムシャムシャとうまそうに食べる。流れ者の常備食だ。なぜか憎めない大らかな男だ。彼の体には女が抵抗したと思われる無数のひっかき傷がある……。

無理強いされたもののギャツォの強引さにまけ結婚し幸福な日々を送るイシだが、流れ者の男は不在が多い。いつも寂しい思いを強いられたイシは疲れて故郷に戻り、親の借金のかわりに、彼女に未練をもっていたクンサンの屋敷で働くことになる。そして再び、運命の歯車が狂い始める。
イシは2人目の子ども(クンサンの子)を生む。戻ってきたギャツォはその事実をしり憤慨して長女を連れて故郷のカムに戻る。一方、ラサで動乱が起きたためクンサンは国外逃亡せざるを得なくなり、自分の血をひく子どもだからと言いイシの生んだ長男を取り上げてしまう。男たちの都合のいい言い分に翻弄され、何もかも失くしたイシは……。

イシは徹底して尽くし、運命に抗ったりせず、なるがままに受容する女だ。身分が違うとはいえクンサンはイシの人生を大きく左右し苦痛を与えた存在だ。夫とはいえギャツォはイシを力づくで犯した男だが、身も心も支えていく。
彼女の人生にかかわった男はもう一人いる。彼女の初恋の人で僧侶となったサムチュだ。イシの”尽くす愛”の精神的支柱となった人で、愛の原点である。イシは初恋の人の淡い面影を記憶にとどめ、クンサンとギャツォという2人の男の間で揺れ動き愛の試練に耐えていったのだ。
女性史を鑑みても、イシは時代と時代を担う男たちの犠牲となった悲運な女だと言える。しかし、本作が月並みのフェミニズム映画にはない、寛容と許しの精神を掲げた人間ドラマとなっている点は見逃せない。ここには時を超えて許しあう人間の大らかな精神性が描かれている。

※「チベットの女 イシの生涯」 (2003年1月5日 日本公開)
チベットの女 イシの生涯 : 作品情報 – 映画.com

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


*