【シネマで振り返り 49】出会い、その刹那のきらめきを …… 「恋する惑星」

自分史活用アドバイザー 桑島まさき

香港は好きな街のひとつで、最近は訪れていないが1990年代は幾度か訪れ、量産される香港映画にもハマったものだ。訪れる目的は観光や買い物だったり当時贔屓にしていたミュージシャンのコンサートに参加するためだったりした。何故だか、そこにいるだけで元気になれるような気になれた。
街に溢れる多くの肌の色、原色の看板が所せましと掲げられた通りをすり抜けるように進んでいく2階建てバス。人と車とモノがぎっしりつまった空間を飛び交う数多くの言語。街をゆく人々はそれぞれの言語で大きな声で話しながら進んでいく。
香辛料のきいた食堂の厨房には中東系のいかつい風貌の男たちがたむろしていて、見るだけで暑苦しい印象をうけた。美味しい匂いは食欲を刺激するが、大げさだが宇宙の果てまで続きそうな気になってしまう。

1995年7月に日本公開された香港映画「恋する惑星」(ウォン・カーウァイ監督)は、その混沌としたエネルギッシュな街・香港を舞台に展開される2組の男女の恋の出会い・別れ・再会の不思議さを、独特の映像センスで描き、世界的ヒットを記録した作品だ。
1995年という年は、日本では年明け早々、阪神淡路大震災がおき、それから約2か月後、世人を震撼させた地下鉄サリン事件がおきた忘れがたい年である。この年の7月、北海道と東京でPHS(簡易型携帯電話)サービスがスタートし、電話が人と共に外にでるようになった。
「恋する惑星」は製作年が1994年。作中の登場人物たちはまだ携帯電話を使用していない。恋する男女を繋ぐツールは、ポケベル、手紙、固定電話、留守番メッセージといったものだ。何でもありの現在と比較すると、恋愛ドラマにおける男女の「すれ違い」が起こる確率はやや高いといえる。

「すれ違う雑踏の中に未来の恋人がいるかもしれない」
「その時、2人の距離は0.1ミリ」
謎めいた金髪女と若い警官(金城武)、小食店の新入り娘とその店の常連警官(トニー・レオン)。前半のハイテンポな進め方に対し、後半はゆっくりとしたテンポで進み、物語の舞台も夜から昼へと移ってゆく。
動と静、夜と昼。犯罪に手を染める女と法と住民を守る男。ちょっと変わっている女とその地区の住民の治安を守る男――本人が気づくことなく地球のどこかですれ違っていることを彼等は知らない。
明日はどうなるか、誰と出会うか知らぬまま、人は人と繋がっていく。本作も前半から後半へと「すれ違い」によって物語の舞台をバトンタッチしている。

縁とは本当に妙なものである。昨日、恋人同士だったカップルが(別れた後は)恋人だったことを証明できるものは、写真などのモノで残していない場合、もはや当人の<記憶>でしかない。しかし、この記憶も新しい恋の出現や病気や事故などによって、それが存在したことさえ曖昧となってくる。
恋人だった彼(彼女)の懐かしい声も時空の彼方に消え、思い出は、楽しい時間を送っている時は忘れるものだ。勿論、それは人が前に進んでいくために必要なものだが。
世界一騒々しい(といわれる)香港の空港周辺で繰り広げられる男女の出会いの一瞬のきらめき、愛の行方を見つめた魅惑的な作品だった。現在から20年以上前、新感覚ムービーだったため、観賞した際のワクワク感を懐かしく思い出した。

*「恋する惑星」(1995年7月15日公開)
恋する惑星 : 作品情報 – 映画.com

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