あなたの自分史があなたのための最強の占い師かも知れない

自分史活用アドバイザー 富永吉昭

私が占いに興味を持ったのは、中学生の時だった。幼年時、離婚による母妹との別離、小学高学年での父の死去等少年期に襲来した衝撃は小さくはなかった。そのことが、子供心にも自らの依って立つべき場所とこれから先の道の向こうを自分なりに覗いて見たかったのだろうか。父亡き後、私を育ててくれた祖母がふとした折、もらした「おまえは、桝掛け線を持ってるから。」という言葉が、占いというものに対すると言うよりも、運命と言うべきものに対するかのような意味合いで私の耳に入った。その時初めて自分の手相を見た。確かに頭脳線と感情線が合体し、掌を一直線に貫いて横切る線が生命線とひらがなの「て」の字を描いていた。その時はさしたる感慨はなく、そんなものかと思っただけであった。生活は貧しくはあったが、私自身はさほど切実さを感じていなかった。しかし、祖母はきっと元気づけてくれたのだと思う。

後年、桝掛け線を持つ古今東西に亘る多くの歴史上の人物、著名人がいることを知った。そして、そのことは長ずるに及んで私の密かな心の支えともなっていったのだ。手形で推察される徳川家康をはじめ、伝聞では織田信長、豊臣秀吉も想定される。故佐藤栄作氏はじめ政治家多数、故手塚治虫氏他文化人多数、故松下幸之助氏他経済人多数、落合博満氏、松井秀喜氏、伝聞ではイチロー氏等の野球界、そして、芸能界においてはきら星のごとく、明石家さんまさん他テレビ等で活躍される方々多数。私見では芸能界への出現率は他の分野に比べて高いと思うがいかがなものだろうか。

海外においては、アインシュタイン等々天才のお歴々が連なっている。そして、何よりも私を驚かせたのは、奈良、京都をはじめ全国にある寺院に鎮座する仏像の手相がほとんど桝掛け線であることだ。巷間、制作にあたった仏師の手相が桝掛け線であり、当の仏師は他ならぬ自らの手相を作像に刻んだという説もあるが、遍く全国に鎮座する仏像の数を思うとき、やはり、私自身は、お釈迦さんその人が桝掛け線であったことを類推するのである。桝掛け線の出現率は片手で10分の1以下、両手で1,000分の1以下であり、男女比では男性への出現率が高いとされる。

手相判断では、桝掛け線の特色として、曰わく天下獲り、打たれ強い、努力家である、しぶとい、逆境の底からも立ち上がる、ひとたび上昇気流に乗れば破竹の勢いで成功を収めるが、慢心油断が奈落の底に一気に転落させる等々の定見がある。平々凡々と生きてきて、奇跡的などんでん返しを伴ったような幸運が突如として日常に起こるとは思えない。しかし、自らを振り返ってみると、しぶとい努力家であることは間違いない。誰しもそうであろうが、辿ってきた道は決して平坦ではなかったが、私の場合、祖母の連綿とした庇護の上に現在がある。

この桝掛け線は私の密かな心の支えであったと前述した。若いとき、悔しさや無力感や敗北感に襲われたとき、桝掛け線のことを思った。すると、なにがしかの自信が湧いた。力をもらった。そして、瞬間過ぎ去る幻影のように、大いなる何者かとの約束を得たような、やすらぎを感じた。そして、そのことは私を育てながら、祖母も同じ思いだったに違いない。なぜなら、祖母の掌にもまた、痛々しいほどに深い、根性の据わった、桝掛け線が刻まれていたからだ。

祖母が死んで38年。私は、あれほど恋い焦がれた家庭を持つことができ、人並みの苦労と幸せを得ている。桝掛け線の持つどんでん返しの奇跡を私は今、まさに得ていると実感している。桝掛け線の暗示は見事に、的中したのだが祖母には何も恩返しができなかった。死んだ翌年に、生前よく聴いていた祖母が幼き頃よく遊んだという隣県の誕生地近くのお寺さんに行った。そして、持参した祖母が使っていた数珠を静かな境内の全体が見渡せる一角の樹木の枝に掛けた。感謝の念を込めて。

中国運命学は五術で表される。命(めい)、ト(ぼく)、相(そう)、医(い)、山(さん)であり、手相は相に属する。姓名判断、風水地理もここに位置し、宿命鑑定である命とは可変、不動の面において、やや趣を異にすると私は理解している。我々は1日の中でなにがしかの占いを眼にしない日はないといってもいい。占いにある意味で断ぜられ、生き方においてかなりの濃度のアドバイスを受ける。占いも多種多様であり、的中率の驚異的な占術も確かに存在し、貴重なアドバイスを伝達される占い師の方も多く存在されるのは事実である。依って立つ論拠、占学体系皆それぞれに的確なものであることは論を待たない。

そして、一番大事なことは占いは、私がそうであったように、悔しさや無力感にさいなまれているときに、僅かではあっても自信や力を与えてくれることだと思う。その一点をきっかけにその後、その人は生きていくことができる場合もある。私の場合、それは桝掛け線であった。しかし、我々個々人が営々築き上げてきた自らの月日の堆積は、恐らくは、自分の運命にとって最強の、一番の凄腕アドバイザーに違いない。つまり自分史は、ある意味において占いをも凌駕した決して裏切らない羅針盤だと思っている。

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