【シネマで振り返り 76】誰もが明るく希望に満ちた未来を夢みている …… 「僕と未来とブエノスアイレス」

自分史活用アドバイザー 桑島まさき

公開作品が少ないのであまり馴染みはないが、ウルグアイ映画「ウイスキー」(2005年4月日本公開)のように、心に沁みる秀逸な作品を送り出しハッとさせてくれる南米映画をご紹介したい。
2006年1月日本公開のアルゼンチン映画「僕と未来とブエノスアイレス」。監督は「モーターサイクル・ダイアリーズ」(ウォルター・サレス監督)のプロデュースでもしられるアルゼンチン映画界の逸材、ダニエル・ブルマン。本作でベルリン国際映画祭銀熊賞ダブル受賞(審査員特別大賞、最優秀男優賞)という快挙を弱冠30歳にして成し遂げた。

タンゴやサッカーばかり取りあげられるアルゼンチンは、かつてスペインとイタリアから大量に移民が流れ込み、ラテンアメリカの中でも圧倒的に白人系の比率が高い国だ。仔細にいえば、ユダヤ系やアラブ系の移民も多数住んでいる。サッカーを例にとれば、アルゼンチンの英雄マラドーナに始まり、多くの一流プレイヤーが高額な報酬を求めてヨーロッパに活動の拠点を求め移住しているように、ここアルゼンチンの人々は自分のルーツがヨーロッパにあるのなら、不安定な経済状況の母国よりヨーロッパへ、という幸福幻想が深く浸透しているようだ。
ブエノスアイレスのポーランド系ユダヤ人家系という出自をもつ監督は、「かつて多くの住民がヨーロッパに移民することによって新しい生活を夢みる集団幻想に駆られていた」ことに着想し(監督自身もそうだった)本作を製作するに至ったのだという。
極貧のヨーロッパでの生活に幻滅し新大陸へ渡った先祖とは逆のコースを子孫は夢みているのだ。

舞台は南米最大のユダヤ人街、オンセ地区のガレリア(アーケード商店街)。主人公アリエルはまさに監督の分身ともいうべき存在だ。30歳になるというのに自分の居場所が確定できず、ガレリアでランジェリーショップを営む母を手伝いながら日々を送っている。友人たち同様ヨーロッパ志向が強く、自分のルーツであるポーランドへ渡りヨーロッパ人になりたいのだが踏み出せずにいる。
母は陽気でオシャレでチャーミング。父は不在。顔を見たこともなく、戦争へいきそのまま帰らない家族を捨てた男として憎く思っている。祖母はユダヤ人迫害を逃れてこの地にたどり着いた元クラブ歌手。
ガレリアは韓国人、リトアニア人、イタリア人、ボリビア人など多国籍の個性的な人々がひしめき、些細なことでケンカをしたり助け合ったりしながら逞しく商売をしている。アリエルのナレーションによって彼のガレリアでの日常が愉快に軽妙なテンポで綴られてゆく。

ここでの生活は悪くはないが、未来はない。自分のルーツであるポーランド人になることで将来は保証されると漠たる希望を感じて日々をダラダラと不倫などしながら送っているアリエルの前に、ある日、自分たちを<捨てた>父が帰ってきた。30年ぶりに、戦争で片腕をなくして。嬉しさと憎しみが入り混じりながら今日まで過ごしてきたアリエルは、いざ、父と接するとなぜか逃げ出してしまう。
母の様子がおかしいと思っていたら、アリエルは母から真実を聞かされる。父がこれまで帰ってこなかった本当の理由を。突然訪れた父、両親の真実。封印していた過去と向き合わざるを得なくなったアリエルは戸惑うのだが……。

重厚な題材を扱いながら、下町のエネルギー溢れるガレリアの群像劇を軽妙に描き、登場する愛すべき人々がいとおしい存在に思え、優しい気持ちになれる人情喜劇だ。アリエルがポーランド人になろうがなるまいが、そんなことはどーでもいい。ただ、父が片腕をなくしたように、母も大事なモノを失っていたという事実の重さ。そして、罪と許し、寛容という人類が永遠に課題にすべきテーマを、この30歳の青年が身をもって悟ることで、彼の明日は明るく希望に満ちた未来になるだろう。父と息子のさりげなく互いを認め合うシーンは感動的で、さわやかな余韻が嬉しい。

※「僕と未来とブエノスアイレス」(2006年1月14日公開)
僕と未来とブエノスアイレス : 作品情報 - 映画.com

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です