【シネマで振り返り 12】ヒロシマ出身日系アメリカ人画家の孤独な闘い ……「ミリキタニの猫」

自分史活用アドバイザー 桑島まさき

2007年9月に日本公開された「ミリキタニの猫」(製作は2006年)は、ニューヨークに暮らす80歳(2007年公開時は87歳)の日系人路上画家ジミー・ツトム・ミリキタニの波乱に富んだ人生をおったドキュメンタリーだ。
カメラを廻し彼の失われた人生に同行したのは、女性監督リンダ・ハッテンドーフ。
ふとした事からジミーの絵を買った彼女は、2001年、世界を震撼とさせた「9・11」にも関心を示さずただ黙々と絵を描き続け、自分の絵を買わないと施しを受けないという誇り高い路上画家に関心をもった。
何故、彼はここにいるのか、どういう人生を送ってきたのか?
彼の過去に興味をもち、自分のアパートにすまわせ共同生活を始めることにした。そして、ジミーの声に耳を傾ける……。

1920年生まれのジミー・ツトム・ミリキタニはカリフォルニアで生まれ日本・広島で育った。「ミリキタニ」の漢字表記は「三力谷」で希有な名字である。世界大戦中、日本に暗雲垂れ込めると、18歳の時に日本を離れ生まれたアメリカに戻り画家として生きようと決意するが、アメリカに戻ったジミーは「アメリカで暮らす日本人」とみなされ、戦局が厳しくなるにつれ強制収容所に入れられる。
アメリカ人なのに敵国の民として差別され国家から見捨てられた彼はアメリカ市民権を放棄する。戦後も多くの日系人が解放されることなく拘束され、収容所を転々と移動する苦難を強いられた。
広島にいればこんな目にあうことはなかったのだろうか……?
広島にいたらもっと過酷な人生だったかもしれない。
アメリカはジミーの母親の故郷広島に原爆を落とし、その原爆でジミーの母方の一家は生命を落としていることから、そこにいたらジミーは生きていた確率は低い。

市民権を持たずにアメリカで(他の国でもそうだが)暮らすことがいかに困難か。
人権派弁護士の尽力により市民権回復のための活動を長く続けながら、ジミーはアメリカ国内を流れるように移動していく。後でわかったことだが、彼の市民権は1959年に回復されていたが、流転の日々を送っていたために受け取れぬままになっていたのだ。
流れ流れて辿り着いたニューヨーク、ソーホー。そこでジミーは市民権をもたぬまま(実は回復していたのだが)路上生活を続け、しかし画家としての誇りを持ち続け、絵を売ってその日の糧を得ていた。世界中の人種の坩堝、世界経済の中心都市で、めまぐるしく変化する世界の中心に生きながら、一心不乱に絵を描き戦争によって大きく歪められた過去を胸の奥深く封印し。

ハッテンドーフ監督との共同生活はジミーの過去へと遡る旅であり魂の救済の旅であった。これほどの仕打ちを与えたアメリカが憎かっただろう。憤りは収まらなかっただろう。だが、彼はアメリカを離れず移動する先々で孤独と闘った。
ジミーは過去と対峙し、語り、痛みを思いだすことによって、過去と決別してゆく。とてつもなく長い道のりだったはずだ。 アメリカで国民として生きる権利を奪われても、画家として生きる権利や魂まで奪われることはない。画家であり続けることだけが、自分をはじきだしたアメリカに挑戦できる唯一の切り札だと考えたのかもしれない。
そして彼女の努力の結果、ジミーはケア付き老人ホームに入居することができ、流浪の人生の終盤、ようやく清潔なシーツとベッドで眠ることができるようになった。さらに、離ればなれになっていた姉とも60年ぶりに再会を果たした。

ジミーの生涯を撮ったハッテンドーフにとっては本作が監督デビュー作となり、国際的に高い評価を受け、彼の存在と戦争の愚かな傷跡を再び世界に知らしめることができた。
人種や世代を超えた出会いの結果、思想的共感で結ばれ、過去と向き合うことで自分史(映像)を完成させたジミー。2012年に92歳で死去したが、彼の反骨精神が受け継がれたのか、没後5年にあたる今年、リバイバル上映や彼が描いた絵画の数々が披露される催しが続いている。
世界を変えるために一人で闘った孤高の画家の生涯、まずはご観賞をお薦めしたい。

※ 「ミリキタニの猫」(2007年9月8日日本初公開)
ミリキタニの猫 : 作品情報 - 映画.com

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