【シネマで振り返り 58】人間の尊厳への問い、あるいは正義と赦しについて …… 「判決、ふたつの希望」

自分史活用アドバイザー 桑島まさき

あまり好きになれない人との関係で腹がたったので、彼(彼女)に関する噂を少し脚色して親しい人たちに吹聴したら瞬く間に話が拡散し、気が付くと名誉棄損で訴えられることになったり、深刻な事態になり驚きのあまり「こんな事になるなんて……」とぼやいたり――という話はよく見聞きする話。だが、これらは当事者が有名無名を問わず、どこででも起こりうる蓋然性の高い出来事である。
今回ご紹介する新作映画「判決、ふたつの希望」(レバノン・フランス合作)は、人間の尊厳をかけた口ゲンカが国家間の問題に発展する騒動となった物語の顛末を描いたもので、第90回米国アカデミー賞外国語映画賞にノミネート(レバノン史上初!)されるなど、世界の名誉ある賞を受賞し注目をあびた作品である。

きっかけは、レバノンの首都ベイルートの住宅街、2人の男たちのささいな口論だった……。
パレスチナ人難民で現場監督(違法就労)を務めるヤーセルは、この一帯で違法建築の補修作業を行っていた。近くのアパートのバルコニーが原因の水漏れを防ぐ工事をすませなければならず、その元凶の部屋に住むレバノン人の男トニーに状況を説明するが、憤慨したトニーは新しく取り付けられた排水管を壊してしまう。頭にきたヤーセルは(普段は温厚で紳士的な男だが)、とっさに「クズ野郎!」とののしり退却するのだった。
事態はこれで終わらなかった。腹の虫が収まらないトニーは、現場監督の会社に対して、「謝罪しなければ本人と会社を訴える」と直訴する。

© 2017 TESSALIT PRODUCTIONS – ROUGE INTERNATIONAL – EZEKIEL FILMS – SCOPE PICTURES – DOURI FILMS
PHOTO© TESSALIT PRODUCTIONS – ROUGE INTERNATIONAL

レバノンは多種多様な宗教・宗派をもつ人たちが共存するだけでなく、パレスチナ難民も多く住んでいて、さらに近隣諸国との関わりをめぐって複雑かつデリケートな歴史を抱えるだけに常に緊張を強いられている。それだけに、雇い主の所長は、トニーに詫びをいれるようにヤーセルを説得し、年長者の彼もそれに応じるのだが、人としての自尊心が邪魔をして示談は成立しない。
結局、トニーは大手弁護士事務所の敏腕弁護士に依頼し、一方のヤーセルには、パレスチナ難民の人権擁護活動をしている女性弁護士が弁護を引き受け、痴話ゲンカは裁判の場で決着をつけることになるのだった。

2人の背景を整理すると、訴えられたのはヤーセルで、スンニー派ムスリムのパレスチナ人難民、キリスト教徒の妻と共に難民キャンプで暮らしている。訴えたのはトニーで、マロン派キリスト教徒のレバノン人、自動車修理工場を経営、妊娠中の妻と2人暮らし。
レバノンにはパレスチナ難民キャンプが12カ所存在し、40万人を超える難民が暮らしている。中東諸国に暮らすパレスチナ難民の中でも最悪の待遇といわれる環境下では、多くの規制があり、仕事も自由に得ることができず「不法就労」という形で働く人が多い。ヤーセルはそのひとりだ。
つまり、立場的には、レバノンで暮らすレバノン人のトニーが有利といえるが、法廷での原告・被告双方の法律家(実は、2人は父と娘)が激しい論戦を展開し、排水管が問題の本質でなくモザイク国家故の複雑な問題(暴力の記憶)を孕んでいることがわかり、どこにでもいる2人のオヤジの口論から始まった事件は、当事者だけでなくマスコミや政治家をも巻きこみ国家間の問題へと発展していくのだった。
その過程に驚く(特に)心に傷もつトニーの表情が印象的だ。「ただ、謝罪さえしてくれればよかっただけなのに……」。しかし、裁判をみた人々は騒ぎ立て感情を共有する。そして、2人は大統領から呼び出されるに至る。

© 2017 TESSALIT PRODUCTIONS – ROUGE INTERNATIONAL – EZEKIEL FILMS – SCOPE PICTURES – DOURI FILMS
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私たちがテレビや雑誌などで知るレバノンの歴史は、はたして正しい認識だろうか? 凄惨な世界大戦を経験した日本は幸いにも70年以上、戦争と無縁でこられたが、いまだ内戦や紛争が絶えない国々は苦い記憶を過去のことにすることは難しい。
理由はともあれ争いの記憶は忘れてはいけないし、過去は塗りかえられない。しかし、とどまってはいられない。
歴史を踏まえ、前へ進んでいくこと、正義の意味を吟味し、赦すこと……。その先には、間違いなく希望がある! という人類の普遍的なテーマをやんわりと提示してみせる結末に救われた。

※ 「判決、ふたつの希望」(2018年8月31日[金]、TOHOシネマズシャンテ他全国順次公開)
映画「判決、ふたつの希望」公式サイト

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