【シネマで振り返り 13】奇跡は一日にして成らず、娘たちのアナザーストーリー …… 「フラガール」

自分史活用アドバイザー 桑島まさき

お盆や正月休みはリゾート地へ行ってリラックス! なんてことをしなくても「常磐ハワイアンセンター」(以後、「ハワイアンセンター」と表記する)があるではないか!と皆は口を揃えて言う。それほどまでに有名な、海を渡らずともハワイ気分を満喫できる場所、ハワイアンセンター。ちなみに、「常磐ハワイアンセンター」は、1990年(平成2年)に「スパリゾートハワイアンズ」と名称変更して現在に至っている。

2006年に公開された李相日監督作「フラガール」は、ハワイアンセンター誕生にまつわる笑いあり涙ありの壮大なドラマにして一級のエンターテインメントだ。

1965年(昭和40年)、押し寄せるエネルギー革命によって供給の中心を石炭から石油へと転換され、本州最大の炭鉱・常磐炭鉱は人員整理を余儀なくされていた。一家で炭鉱(ヤマ)の仕事に従事している炭鉱町で仕事を失うのは死活問題である。そこで起死回生プロジェクトとして持ちあがったのが、炭鉱町を楽園ハワイに作り上げること。そして、町おこしプロジェクトの売りとなるのがフラダンスショー!

北国から一歩も出たことのない炭鉱娘たちをダンサーにするために花の都、東京からダンス教師が呼ばれた。SKD(松竹歌劇団)で花形ダンサーだった平山まどか先生(松雪泰子)はお金のためド田舎にやってきて、盆踊りしか知らない田舎娘たちにフラダンスを教えなくてはならなくなった。娘たちは「恥ずかしぃ~!」と戸惑い、娘の親たちは「腰ふるなんてとんでもねぇー!」と反対し、ヤマの仕事しか知らない誇り高い炭鉱夫たちは、ヤマがハワイに変わることに猛反発し、まどか先生を快く思わず前途多難となる……。

しかし、小さな世界の中で夢みることなどなかった娘たちは、まどか先生の華麗な踊りと誰にも媚びないスカッとした生き方に魅せられ、自力で夢を叶えようとすることの心地よさを感じる。まどか先生も娘たちのひたむきな姿をみて心動かされてゆく。俄かに開設されたレッスン場はいつしか多くの娘たちで溢れるようになるのだった。

娘たちを牽引するのは炭鉱婦としてヤマ一筋に生きてきた母親・谷川千代(富司純子)とケンカをして家を出てきた紀美子(蒼井優)という可愛い娘。彼女の兄(豊川悦司)もヤマで働く。本作では、紀美子、まどか、千代という世代の違う女性たちの価値観をめぐる闘いという点でも興味深く鑑賞することができる。ヤマで真っ黒になって働き、夫や子どもの面倒をみるためにのみ生きる千代にとって、いきなり都会からやってきて、派手な衣装でタバコをのみ酒をあおる奔放女(思い込みだが)の踊りなどお遊びに過ぎないと思うのは無理もなく、そんな女性に傾倒する娘の将来を案じ、ヤマの女の誇りが母と娘の距離を遠ざけてしまう。だが、ヤマの女の器量は、いつしか娘の懸命な姿に心打たれ、激変する時代の波にのまれることを受け入れてゆくのである。

ド素人だった娘たちがフラダンスで人々を魅了してゆくプロセスがユニークに展開する本作は、実話だけにリアリティーがあり時折ホロリとさせられるダンスムービーだが、産業史・地域史として注目したい。

ハワイアンセンター誕生の裏では(何にでも立ち上げの苦労があるように)、親の最期に立ち会えなかった者や涙を呑んで夢を諦め厳しい現実に向かわなければならなかった者もいる。娘たちは最初から肌をあらわにし腰蓑をつけたわけではないことを忘れてはならない。ハワイアンセンターは一日にして成らなかったのである。

※ 「フラガール」(2006年9月26日公開)
フラガール : 作品情報 - 映画.com
「スパリゾートハワイアンズ」の歴史

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です