【シネマで振り返り 3】ベテラン老優たちによる人間の尊厳と生きた証……「忘れられぬ人々」

自分史活用アドバイザー 桑島まさき

1996年、精神のバランスを崩してゆく妻と夫の絆と再生を静かにみつめた「おかえり」で劇場映画デビューを果たし、いきなり国外の数々の映画賞を受賞した篠崎誠監督作。今回ご紹介する「忘れられぬ人々」(2001年公開)は、日本社会の課題ともいえる「高齢者問題」を扱っている。

木島(三橋達也)は戦争ですべてを失い、田畑を耕してひっそりと暮らしている。村田(大木実)は長年つれそった女房・静枝(内海桂子)に死期が迫り、その身を案じつつ細々と居酒屋を営んでいる。伊藤(青木富夫)は息子夫婦と同居し、暇を持て余している。最近、彼は品のいい老婦人・小春(風見章子)に恋をしてウキウキしている。

3人は過酷な体験をくぐり抜けてきた戦友だけに絆は深い。横須賀のとある町に住み、よく連絡をとりあっている。静枝の入院する病院の看護婦・百合子の亡くなった祖父が3人の戦友(それも忘れることのできない)だったことから静かな生活が動きだす……。

二枚目スター・三橋達也は、川島雄三監督の「洲崎パラダイス 赤信号」(1956年)を代表作に持つが、「土曜ワイド劇場」(長寿テレビ番組だった!)の十津川警部のイメージしか浮かばないという人は多いかもしれない。東映の時代劇に多く出演した大木実は、子どもの頃みたテレビ時代劇「清水次郎長」で大政の役を演じていたように記憶している。「突貫小僧」の大ヒットで子役スターからずっと現役を続けている青木富夫。奇しくも3人は1923年生まれ、日本映画全盛時の映画スターだったが、テレビの普及により庶民の娯楽が映画からテレビへと移り、活躍の場を変えた。残念ながらみな故人である。

”社会の中心ではなくなった”人々を「高齢者」や「老人」や「お年寄り」とよぶなら、少子高齢化傾向著しい日本の行く末は高齢者だらけ。彼らは、行く末や連れ合いのない不安、友人たちが減っていく寂しさ、ジイサンバアサンと煙たがられる疎外感で不安だらけの日々を生きている。

「馬鹿にすんじゃねえぞ、俺たちは若いもんと違って多感な時代を戦争という凄惨な状況下ですごし生き抜いてきた誇りってもんがあるんだ。ジジイババアってナメんじゃねえよ」。ジイサンはそう言いたげに空を見ていたのが印象的だった。

おひとり様社会の現在はどうだろう? 年金額だってしれている。体が動かなくなったらどうしよう。一人で死んでいたら「可哀そうに」と言われるに決まっている。こういう不安は「3.11」以後、顕著になっていると聞く。だから、皆、老後を労わりながら共に過ごしてくれる伴侶や仲間を必死に探すのだ、例外なく。

高齢者の孤独につけこむ詐欺師たちは、依然として多い。本作では、得体のしれないモノに高額の代金を支払わせる悪徳業者がリアルに描かれている。ワイドショーの再現ドラマのような類型的な演出と言えなくもないが、かなり滑稽だ。百合子の恋人・仁がその正体不明の企業の研修会で洗脳され子どものように感動の涙を流すシーンなどは笑える。

若者が洗脳され、行く先の不安でいっぱいの高齢者は、この社会の悪にコロリと騙されてしまうのだ。「自分は大丈夫!」と思っている人も含めて。それが人情というものだ。

3人のジイサンたちは、愛する者のために”社会の悪”に立ち向かう。かつて彼らにとって戦争が敵であったように、愛する者を苦しめる悪を退治するために。

失礼ながら主役の3人は「過去の映画スター」であるが、老人力ここにありとばかりに熱演する。しかも3人揃ってナント三大陸映画祭で主演男優賞を受賞するという名誉を獲得している。さらに女優の風見章子も同映画祭で主演女優賞を受賞している。

言葉もなく視線だけで決意を伝えて、悪い奴らのところに乗り込んでいくあたりは、昭和の任侠映画を見ているようだ! クライマックスには仰天であったが、「悪を倒して正義は残る」という勧善懲悪の構図どおりにいかなかったのは現代的だ。

3人にとって戦死した金山が忘れられない人であったように、若い百合子や仁、黒人の少年・ケン(横須賀らしい)にとって3人のジイサンたちは生涯、忘れられない人となるだろう。

一度きりの人生、大事な人たちにとって、永遠に忘れられないと思われるような生きた証を残したいものだ。

※2001年9月15日公開
忘れられぬ人々 : 作品情報 - 映画.com

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