私の長男は中学校3年ということで受験真っ只中です。高校受験ですから、基本的にはどこかの学校に落ち着くのだと思います。さらに少子化ということで私の時代ほど受験戦争のような切迫感も感じません。直接的には関与していませんが、今の受験の過程を見てみると、自分の実力以上の学校にチャレンジするというよりも、いかに自分の実力にあった学校に入れるかといった保守的な印象を受けます。そしていわゆる内申点といった中学時代の成績が大きな評価になるようです。それは学科としての通知表だけではなく、課外活動であるクラブ活動、生徒会活動なども含め、総合的に判断した結果を反映しているようです。一発勝負の入試テストだけでは一人の人物は評価できないということでしょうか。ましてや学校のように毎年毎年新しい生徒が入る組織であれば、生徒が学校に与える影響も大きく、ともに学校運営をして行く人材と考えられているのでしょう。

息子もそんな人生初めての試練に立ち向かっているわけですが、それはある意味、15歳の冬の瞬間に決まるものではなく、すでに15年間の人生の蓄積で決まっているものであり、あとはそれをどう表現して自分のことを全く知らない高校にアピールするかということかと思います。何百とある高校の中から、何故ここを選んだのかを自分の今までの人生とつなぎ合わせる作業はまさの自分史作りです。自分の過去を含め、自分がよく解っていなければ様々なものの中から選択することは出来ません。志望校を決めるということはそういうことで、今まさに息子はその時を迎えているのです。

誰もが受験だけでなく、就職や転職、結婚や離婚など様々な選択の場面には、多かれ少なかれ自分の過去と向き合うことになり、その上で結論を出していくのです。そしてこのように選択してきたことがまた自分史となり、次の選択の基準や指標を作っていくのです。

試験ですから自分の人生を反映してベストと思った志望校に入れないことだって当然あります。志望していない高校に入ってからが実は思わぬドラマが待ち受けていて、振り返れば自分史としては面白いものになるのです。このように人生を俯瞰してみることが出来るのはある程度の経験が必要になりますが、どちらかというと失敗から学ぶことが多いかと思います。失敗や選択の誤りが自分史を作り、自分史が次の失敗や誤りから立ち直らせてくれるとも言えます。

馬場敦(一般社団法人自分史活用推進協議会監事)