おのやすなり(自分史活用アドバイザー)

自分史を書いてみましょうと言われて一体どんなイメージを持たれますか?

仕事柄、この言葉に対する多くの人の反応を見る機会があります。

年代によってその捉え方は違いますが、自分にはその作業を行うのに相応しくないとか、年齢的にまだ早いとか、要するに拒否反応を示す方が多いのです。

自分史活用アドバイザーの苦悩

「一般社団法人自分史活用推進協議会」は、自分史を啓発していこうという人たちの集まりで、いろいろな方がいろいろな形で自分史に携わっておられます。

出版社、カウンセラー、介護士、教師、経営者、会社員、社労士、税理士、医師、ボランテイアリーダー……。

自らの自分史を書くことが目的ではなく、多くの方が自分史をなんらかのツールや手段として活かすことで社会貢献に繋げたいという方が参加をされておられるようです。

先日、全国から集まる総会に参加したのですが、多くの方と意見交換をさせて頂く中で「自分史」と言う言葉に共通の課題を持たれていることに気づきました。

世の中には「自分史」という言葉に拒否感を持たれたり、偏向的なイメージを持たれる方が多いということです。

ある方は「自分史」という表現をなんとかしたい、金槌で叩いてバラバラにして組み立て直したいと仰る方がおられましたし、いろいろな表現を使って「自分史」という言葉は使わないようにしているなどの意見に大いに共感してきました。

完成した人生などないと思う

自分史という言葉にはどこか集大成的なイメージがあります、ですから成功した人や人生の佳境を過ぎてからゆっくりと振り返るような感じになりがちです。

私は今多くの起業家たちが集まる事務所にデスクを置いております。

彼らは自分たちのビジネスプランを現実的に世の中に示してゆきたいと躍起になりながら、希望に目を輝かせる者、失望感や焦りで落ち込む者、日々がドラマチックです。

そんな彼らの日常はとても面白く、現在に至るまでの人生の変遷や動機はそれはそのまま物語になります。

話を聞いていると輝く目をした人が褌を締め直す必要があると言い出したり、どんよりとして目に再び闘士の炎が灯ることもあるのです。

それはそのまま、自分史の中の一場面でありそこに至る経緯があり、今は未来に繋がっています。

だけど、そんな彼らに「自分史」という言葉を投げると一様にうんと頑張って成功したら書くよという言葉が返ってきます

成功して波に乗っている経営者やそれ相応の実績を残している方もまた、まだまだ俺はそんなレベルでないと仰る方もおられます。

自分史は様々なきっかけで自分を振り返るツール

大学の就職課では経歴書を書く中で自分史の講座を設けているところもあります、自分史を書く手法の多くは自己の棚卸しに最適な要素を持っているからです。

街のあちらこちらで、心理学的なメンタルセラピーの教室が流行っています。これらのカリュキュラムは自分に向き合うために過去の自分を振り返ります。

なんのために振り返るのか? それは過去の自分を懐かしむためではなく、未来の礎として自分はどこからきたのかを確認する作業なのではないかと思います。

著名な経営者や芸術家が自分を振り返る書物を出されます、彼らは成功したからあるいは集大成の意味でその作業をしているわけではありません。

10年前に「志高く」を出版した孫正義氏は歩みを止めたでしょうか?

14年前に「1勝9敗」を出版した柳井正氏率いるユニクロは未だに成長をしています。

大成功をしたから自分史を書く訳ではありません。彼らにしても市井の多くの人にしても自慢話は面白くありません。失敗談や苦労談こそ興味があるのです。

一冊の本にまとめることが必ずしも目的でもないとも思います。

「あの時は……」と振り返る余裕も大切ですが、「火のついた今」をライヴ感溢れる言葉に変えてみる、文字にしてみることで得られることも多いのではないでしょうか。

「自分史」と言う言葉に惑わされずに、今を生きる多くの物語を残してゆきたいものです。

自分史ラボ:my life my art